地名標柱一覧
相模原市が旧市域に設置した旧跡、坂、道すじなど示した標柱を一覧としました。
緑区:
橋本/大沢
中央区:
小山/清新/横山/
南区:
大野中/大野南/麻溝/新磯/相模台/
橋本地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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みのくち | 緑区相原 3-16 |
ここは、境川から用水を引いて、当麻田と呼ばれる水田に流し込んでいたところなので、「水口(みのくち)」 といいます。 | 相原当麻田自治会館向かい | |
相原学校 旭小学校分教場跡 |
緑区相原 4-24 |
明治六年に正泉寺に開設された相原での最初の学校「益進学舎」が「相原学校」となって同十五年 ここに新築開校し、同三十五年には尋常高等小学校の創立と学校統合で「旭小学校第一分教場」となり昭和二十四年に至るまで六十七年間授業が行われておりました | 相原当麻田自治会館向かい 他標柱と形式が異なる |
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精進場 | 緑区東橋本 4-14 |
むかし、大山をお参りする人々が身を清めるために水を浴びたところを「精進場(しょうじんば)」といい、ここもそのひとつでした。 | ||
高座川(境川) | 緑区相原 6-5 |
この境川は、もとは「高座(たかくら)川」「田倉(たくら)川」などと呼ばれていました。これが相模と武蔵の境として「境川」となったのは、安土桃山時代のことと伝えられています。 | 相原八幡宮本殿裏 | |
常慶くぼ | 緑区西橋本 1-18 |
江戸時代に、橋本に住んでいたといわれる「常慶(じょうけい)」というお坊さんにちなんで、この名になったといわれています。 | 相模原(旧市域)の寺院・小堂 常慶庵(跡) |
西橋本くすのき公園内 |
棒杭 | 緑区橋本 1-21 |
(右)このあたりを「棒杭」といいます。この近くにある石仏がそのように呼ばれているためですが、大山参りの人々が利用した「大山道」はここで田名方面と当麻方面に分かれており、この石仏その道しるべでもありました。 (左)東南 当麻方面 西南 田名方面 |
各地の道すじを辿る-田名廻り八王子通大山道 | |
久保沢道 | 緑区橋本 8-19 |
(右)おもに久保沢に向かう人々が行き来した道だったので、この名があります。 (左)西 久保沢方面 東 橋本方面 |
市立相原中学校北側 | |
久保沢道 | 緑区相原 5-1 |
(右)おもに久保沢に向かう人々が行き来した道だったので、この名があります。また、大正時代に改修されてからは「津久井新道」と呼ばれています。 (左)西 久保沢方面 東 橋本方面 |
三代目二本松植栽地 | |
大山道 | 緑区橋本 2-7 |
(右)北 八王子方面 南 大山方面 (左)大山参りの人々がよく利用した道だったのでこの名があります。また、「埼玉往還」「八王子道」などとも呼ばれ、橋本はこの宿場としてもにぎわいました。 |
供養塚そば | |
まつば坂 | 緑区東橋本 4-6 |
このあたりの小集落を「まつば」といい、この名があります。また、坂の下に天縛皇(てんぱくこう)があるので、「天縛坂」とも呼ばれています。 | 橋本にある坂 まつば坂 |
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うま坂 | 緑区東橋本 3-12 |
昔はとても急な坂で、ここを通る馬が苦労したことからこの名がついたといわれています。 | 橋本にある坂 うま坂 |
大沢地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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やつぼ | 緑区大島 2568 |
このように崖から水が湧き出てたまっているところを「やつぼ」と呼んでいます。 | ||
やつぼ | 緑区大島 3347 |
このように崖から水が湧き出てたまっているところを「やつぼ」といい、これは「中郷やつぼ」と呼ばれています。また、この崖の下には対岸とを結ぶ渡し場がありました。 | ||
籏川(鳩川) | 緑区上九沢 4-12 |
この鳩川は、江戸時代から明治時代ころにかけては「籏川(はたかわ)」とも呼ばれていました。さらに下流では「ながとろ」「一の沢」「谷つ川」などの呼び名もありました。 | 上九沢集会所敷地内 | |
大山道 | 緑区下九沢 129先 |
(右)大山参りの人々がよく利用した道だったのでこの名があります。また、「埼玉往還」「八王子道」などとも呼ばれ、この坂は「観音苦行」と言われる難所でした。 (左)北 埼玉方面 南 大山方面 東 横浜方面 |
各地の道すじを辿る-当麻廻り八王子通大山道 | 八王子通大山道 当麻廻りルート上 国道129号線 作の口陸橋そば |
大山道 | 緑区下九沢 1370 |
(右)大山参りの人々がよく利用した道だったのでこの名があります。また、「八王子道」などとも呼ばれ、塚場は小さな宿場となっていました。 (左)北 八王子方面 南 大山方面 |
各地の道すじを辿る-田名廻り八王子通大山道 | 八王子通大山道 田名廻りルート上 九沢橋交差点付近 |
大島坂 | 緑区大島 678先 |
この坂は、大島の人たちの下の農地に行くためにつくられた坂なので、この名があります。 | 大沢にある坂 大島坂 |
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神沢坂 | 緑区大島 2398 |
神沢集落から上の段へ通じる坂なので、この名があります。 | 大沢にある坂 神沢坂 |
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しも坂 | 緑区下九沢 479先 |
この坂の下の小集落を「みやしも」といい、この名があります。 | 大沢にある坂 しも坂 |
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はけ坂 | 緑区下九沢 2048先 |
このあたりの小集落を「はけ」といい、この名があります。 | 大沢にある坂 はけ坂 |
小山地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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江戸道 | 中央区向陽町 8-1 |
(右)北東 府中方面 南 上溝方面 (左)小山村から境川を渡り、江戸へ向かう道なのでこの名があります。また溝村(上溝)へも続いているので、「溝街道」などとも呼ばれています。 |
小山公民館前 | |
おかもと坂 | 中央区 宮下本町 3-29 |
この坂のわきに「おかもと」という家があったため、この名があります。 | 小山にある坂 おかもと坂 |
清新地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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せんぞう峠 | 中央区清新 5-18 |
公園の西側の坂を登った少し高くなったところは、かつて主要街道の交差点で、その場所で「せんぞう」という人がお店を営んでいたことから、「せんぞう峠」と呼ばれていました。 | 氷川公園内 |
横山地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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新道坂 神明坂 |
中央区下九沢 1163先 |
改修された新しい坂を「新道坂」といい、東へ向かう坂を「神明坂」といいます。 このわきには神明様がまつられています。 |
各地の道すじを辿る-田名廻り八王子通大山道 横山にある坂 神明坂 |
二つの坂を一柱で表記 |
光が丘・陽光台地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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七曲り(西見坂) | 中央区陽光台 5-13 |
いく重にも曲がっている坂なので、七曲りと呼ばれています。明治30年に改修され、西見坂と呼ばれるようになりました。 | 光が丘・陽光台に ある坂 七曲り |
大野北地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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かぬま | 中央区鹿沼台 2-15 |
ここにあった沼を「かぬま」といいました。巨人「でいだらぼっち」の足跡が沼になったという言い伝えがあります。また、単に「や」と呼ばれることもありました。 | 市立鹿沼公園内 | |
しょうぶ沼 | 中央区淵野辺 5-1 |
ここにあった沼を「しょうぶ沼」といい、菖蒲(しょうぶ)が生えていたといわれています。また、沼のまわりの馬場(ばば)で草競馬が行われたので「勝負沼」ともいわれています。 | ||
上矢部街道 | 中央区上矢部 4-6 |
(左)北西 府中方面 南西 上溝方面 (右)上矢部村を通る道なのでこのように呼ばれていました。また、矢部新田を開拓した人々が、境川の水をくみに通った「水くみ街道」であるともいわれています。 |
上矢部薬師堂敷地内 | |
八王子道 | 中央区共和 1-11 |
(左)おもに八王子へ向かう人々が行き来した道だったので、この名があります。また「久保沢道」「神奈川道」「横浜道」などとも呼ばれていました。「淵野辺新田」はこの道に沿って開かれています。 (右)東南 横浜方面 西北 八王子方面 |
新田神社南側 | |
八王子道 | 中央区矢部 2-7 |
(左)おもに八王子へ向かう人々が行き来した道だったので、この名があります。また「久保沢道」「神奈川道」「横浜道」などとも呼ばれていました。「矢部新田」はこの道に沿って開かれています。 (右)東南 横浜方面 西北 八王子方面 |
村富神社北側 | |
第六天坂 | 中央区 淵野辺本町 3-36先 |
第六天社のそばにある坂なのでこの名はあります。また、この道は「久保沢道」「芝溝街道」などと呼ばれていました。 | 大野北にある坂 第六天坂 |
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やまねの坂 (山王坂) |
中央区 淵野辺本町 2-28 |
昔は、やまねの坂と呼ばれていましたが、戦後改修され山王坂とも呼ばれるようになりました。 | ||
龍像寺坂 | 中央区 東淵野辺 3-25先 |
龍像寺(りゅうぞうじ)の山門につづいているので、この名があります。また昔は「おお坂」とも呼ばれていました。 | 大野北にある坂 龍像寺坂 各地の道すじを辿る-府中通大山道 |
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おおざか | 中央区 東淵野辺 2-9 |
この坂は、古くからの当麻山(たいまさん)へ向かう主要な道で、人々が利用するのにたいへんな大きな坂でした。 | 大野北にある坂 おおさか |
田名地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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弁天どぶ | 中央区田名 5777 |
川の水がよどんでいるところや渕を「どぶ」と呼ぶことがありました。ここは「弁財天」が近くにあるので、「弁天どぶ」と呼ばれています。 | 市登録史跡「万平穴」付近 | |
大杉の池 | 中央区田名 4974 |
大きな杉の木があったのでこの名がありました。明治時代にはここに役場があったので「役場の池」とも呼ばれています。 | 田名大杉公園内 | |
烏山用水 | 中央区 水郷田名 1-23 |
この用水は、江戸時代にこの地域を領地としていた烏山藩の大久保氏によってつくられました。また、のちには「新堀(しんぼり)」とも呼ばれています。 | ||
久保沢道 | 中央区田名 4527 |
(左)南東 当麻方面 北西 久保沢方面 (右)おもに久保沢へ向かう人々が行き来した道なので、この名があります。また、当麻山無量光寺へお参りに行く人々も通ったので「当麻街道」とも呼ばれていました。 |
田名四ツ谷自治会館前 | |
久保沢道 | 中央区田名 6786 |
(左)おもに久保沢へ向かう人々が行き来した道なので、この名があります。また、当麻山無量光寺へお参りに行く人々も通っていたので「当麻街道」とも呼ばれていました。 (右)南東 当麻方面 北西 久保沢方面 |
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久所の渡し | 中央区田名 5523 |
このあたりには対岸の小沢とを結ぶ渡し場がありました。おもに大山参りの人々がよく利用したため、久所はその宿場としてにぎわいました。 | 各地の道すじを辿る-田名廻り八王子通大山道 | 高田橋袂 |
滝の渡し | 中央区田名 1167 |
ここには対岸の葉山島の下河原とを結ぶ渡し場がありました。そのため「下河原の渡し」とも呼ばれていました。 | 山王坂坂下 | |
望地の渡し | 中央区田名 8599 |
このあたりには、対岸の六倉とを結ぶ渡し場がありました。そのため「六倉の渡し」とも呼ばれていましたが、上流の「久所の渡し」が開かれる以前には大山参りの人々にもよく利用されていました。 | 田名廻り八王子通大山道-六倉(望地)の渡しへの道すじ | 望地うま坂坂下 八王子通大山道 田名廻り旧路ルート上 |
しろ坂 | 中央区 水郷田名 3-6 |
この坂の岩肌が白かったので、この名があります。また「城坂」とも呼ばれています。 | 田名にある坂 しろ坂 |
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山王坂 | 中央区田名 1167 |
昔、この付近に山王社があったので、この名があります。 | 田名にある坂 山王坂 |
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ひの坂 | 中央区田名 5612 |
昔、いたずらたぬきが、おばあさんにこらしめられて火だるまになったいわれ、この名があります。 また、たぬき坂とも呼ばれています。 |
田名にある坂 ひの坂 |
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滝坂 | 中央区 水郷田名 1-2 |
滝集落にある坂なので、この名があります。 | 田名にある坂 滝坂 |
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でえの坂 | 中央区田名 4980 |
坂のわきにある家の屋号が「でえ(台)」なので、この名があります。 | 田名廻り八王子通大山道-六倉(望地)の渡しへの道すじ | 八王子通大山道 田名廻り旧路ルート上 |
みや坂 | 中央区 田名塩田 4-1 |
天地社(てんちしゃ)の前を通る坂なので、この名があります。 | 田名にある坂 みや坂 |
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あか坂 | 中央区田名 3301 |
昔は赤土の坂だったので、この名があります。 | 各地の道すじを辿る-田名廻り八王子通大山道 | 八王子通大山道 田名廻りルート上 |
上溝地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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ながとろ(鳩川) | 中央区上溝 6-16 |
(設置場所不良にて不明) | 鳩川れんげ公園内 | |
大山道 | 中央区上溝 2230 |
(左)大山参りの人々がよく利用した道だったのでこの名があります。この不動明王の石仏はその道しるべでもありました。また「埼玉往還」「八王子道」とも呼ばれていました。 (右)北 埼玉方面 南 大山方面 |
各地の道すじを辿る-当麻廻り八王子通大山道 | 八王子通大山道 当麻廻りルート上 田尻交差点付近 |
せどむら坂 | 中央区上溝 1-16 |
この坂の下の集落をせどむらといい、この名があります。 | 上溝にある坂 せどむら坂 |
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わだ坂 | 中央区上溝 1864 |
源頼朝の重臣である和田義盛(わだよしもり)が使ったはしが根づいた大榎がこの坂の近くにあり「和田榎(わだえのき)」と呼ばれたことから、この名がついたといわれます。 | 上溝にある坂 和田坂 |
大野中地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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大沼 | 南区東大沼 2-10 |
ここには「大沼(おおぬま)」と呼ばれる大きな沼がありました。また、弁財天がまつられているので「弁天沼(べんてんぬま)」とも呼ばれています。 | 大沼神社内 開拓記念碑前 |
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小沼 | 南区若松 2-12 |
この付近にはいくつかの沼がありました。そのなかでもここにあった沼は大沼より小さいので「小沼(こぬま)」と呼ばれていました。 | 小沼西公園内 | |
まるや | 南区相模大野 1-3 |
ここにはかつて「まるや」と呼ばれる小さな沼がありました。そのためそのまわりを「まるやぶち」といいます。 | 丸屋公園内 | |
いでのさわ | 南区古淵 1-34 |
この付近にあった沢を「いでのさわ」といい、南北朝時代(十四世紀)の「井出の沢」の合戦は、ここ行われたと伝えられています。 | 大日堂境内 | |
大山道 | 南区若松 3-48 |
(右)北東 町田方面 南西 磯部方面 (左)大山参りの人々がよく利用した道だったので、この名があります。この不動明王の石仏は、その道しるべでもありました。 |
府中通大山道-鵜野森の不動尊がある辻 | |
道者みち | 南区大野台 8-1 |
(右)大山参りの人々(道者)がよく利用した道だったので、このように呼ばれていました。また、「大山道」「磯部道」「木曽道」などともいいます。 (左)北 木曽方面 南 磯部方面 |
各地の道すじを辿る-府中通大山道 | 大野台小学校正門前 |
八王子道 | 南区上鶴間本町 1-39 |
(右)おもに八王子へ向かう人々が行き来した道だったので、この名があります。また「久保沢道」「神奈川道」「横浜道」などとも呼ばれていました。 (左)東南 横浜方面 西北 八王子方面 |
傍に力石あり | |
八王子道 | 南区古淵 3-21 |
(左)西北 八王子道 東南 横浜方面 (右)おもに八王子へ向かう人々が行き来した道だったので、この名があります。また「久保沢道」「神奈川道」「横浜道」などとも呼ばれていました。 |
大野小学校前 | |
鎌倉道 | 南区鵜野森 1-46 |
(右)境川に沿って鎌倉に向かう道といわれ、このように呼ばれていました。また、このあたりの小字を「鎌倉道下」といいます。 (左)北西 八王子方面 南東 鎌倉方面 |
元は古淵4-22に設置 平成27年11月 古淵鵜野森公園移設 |
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鎌倉道 | 南区鵜野森 3-31 |
(右)境川に沿って鎌倉に向かう道といわれ、このように呼ばれていました。 (左)北西 八王子方面 南東 鎌倉方面 |
鵜野森鹿島公園内 | |
幸延寺坂 | 南区鵜野森 2-10 |
幸延寺(こうえんじ)の前の坂なので、この名があります。 | 大野中にある坂 幸延寺坂 |
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かわしま坂 | 南区古淵 1-29 |
このあたりは昔、島のような地形だったのでこの名があります。 | 大野中にある坂 かわしま坂 |
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しも坂 うとう坂 |
南区古淵 4-9 |
東側の坂は「しも坂」といい、この付近の集落を「しも」というため、この名があります。西側の坂は「うとう坂(おと坂)」と呼ばれています。 | 二つの坂を一柱で表記 |
大野南地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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府中道 | 南区旭町 8 |
(右)おもに府中へ向かう人々が行き来した道だったので、この名があります。また「町田道」「厚木道」などとも呼ばれていました。「谷口新開」はこの道に沿って開かれています。 (左)北東 府中方面 南西 厚木方面 |
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鎌倉道 | 南区 上鶴間本町 8-2 |
(右)境川に沿って鎌倉に向かう道といわれ、このように呼ばれていました。 (左)北西 八王子方面 南東 鎌倉方面 |
中和田天神上公園内 | |
鎌倉道 | 南区 上鶴間本町 9-16 |
(右)境川に沿って鎌倉に向かう道といわれ、このように呼ばれていました。 (左)北西 八王子方面 南東 鎌倉方面 |
上鶴間笹山公園内 | |
鎌倉道 | 南区 上鶴間本町 9-50 |
(右)境川に沿って鎌倉に向かう道といわれ、このように呼ばれていました。 (左)北西 八王子方面 南東 鎌倉方面 |
中和田ポンプ場付近 | |
おみやの坂 | 南区 上鶴間本町 9-17 |
長嶋神社の前の坂なのでこの名があります。 | 大野南にある坂 おみやの坂 |
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道正坂 | 南区 上鶴間本町 9-16 |
昔、この付近に道正院というお寺があったといわれこの名があります。 | 大野南にある坂 道正坂 |
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地蔵様の坂 | 南区 上鶴間本町 6-25 |
坂の下に「子育て地蔵(こそだてじぞう)」があるので、この名があります。 |
麻溝地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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一の沢(鳩川) | 南区当麻 1117 |
この鳩川は、上流では「ながとろ」と呼ばれ、このあたりでは二の沢(姥川)・三の沢(道保川)に対して「一の沢」と呼ばれています。 | あざみがや公園内 | |
東沢(道保川) | 南区下溝 2489 |
この道保川は、一の沢(鳩川)、中の沢(姥川)の東にある川なので「東沢(ひがしさわ)」と呼ばれていました。また、「三の沢」ともいわれています。 | ||
おみたれみず | 南区下溝 2376 |
十二天社の近くから流れ出る清水なので「おみたれみず(御垂水)」と呼ばれています。また、この清水が道保川に合流するまでを「みやかわ」といいます。 | ||
新堀 | 南区当麻 2291 |
この用水は、江戸時代の中ころにこの村の名主であった関山庸左衛門通次によってつくられました。また、むらの名前から「当麻用水」とも呼ばれていました。 | ||
当麻の渡し | 南区当麻 2435 |
当麻は古くからの交通の要所で、この先には対岸の依知とを結ぶ渡し場がありました。特に大山参りが盛んになってからはこれを利用する人も増え、当麻はさらに宿場としてにぎわいました。 | 各地の道すじを辿る-当麻廻り八王子通大山道 | |
当麻山道 | 南区下溝 36 |
(右)北東 淵野辺方面 南西 当麻方面 (左)おもに当麻山無量光寺へお参りに行く人々がした道なので、この名があります。また、この道が村の境だったので「境道」または単に「おおみち」とも呼ばれていました。 |
日枝神社・八坂神社跡碑 前 | |
はけ通り | 南区当麻 1654 |
(右)この道は、おもに八王子へ向かう人々が行き来したなので「八王子道」といいますが、このあたりでは「はけ通り」と呼ばれていました。 (左)北 八王子方面 南 座間方面 |
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宮坂 | 南区下溝 2376 |
十二天社のそばにある坂なので、この名があります。 | 十二天社裏 | |
山の神坂 | 南区下溝 3277先 |
この上の神社は、山の神神社となる坂なので、この名があります。道は町田街道にわかれていました。 | 麻溝にある坂 山の神坂 |
県立相模原公園内 |
大下坂 | 南区下溝 1533先 |
大下(おおしも)集落から上の農地に通じる坂なのでこの名があります。 | 麻溝にある坂 大下坂 |
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ひかげ坂 | 南区当麻 100 |
一日中、日があたらない坂なので、この名があります。 | 麻溝にある坂 ひかげ坂 |
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あずま坂 | 南区当麻 711 |
坂の上に「東権現(あずまごんげん)」があったのでこの名があります。東権現は養蚕の神様で縁日にはたくさんの人々でにぎわいました。 | 麻溝にある坂 あずま坂 |
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子の神坂 | 南区当麻 40 |
この坂の上に「子の神社(ねのかみしゃ)」があったので、この名があります。 | 麻溝にある坂 子の神坂 |
新磯地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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五ヶ村用水 | 南区磯部 453 |
この用水は、江戸時代後半に磯部村、新戸村など五ヶ村の水田に水を引くためにつくられました。また、その用水の取水口があるこのあたりは「すいどうくち」と呼ばれています。 | 磯部頭首工公園内 | |
一里塚 | 南区新戸 2392 |
(右)この道は府中につづくといわれ、ここにあった塚は、徳川家康の霊柩を日光へ奉ずるさいに築いたものと伝えられています。また、同様の塚が麻溝台にもありました。 (左)北 府中方面 南 座間方面 |
新戸公園南側入口付近 | |
磯部の渡し | 南区磯部 453 |
このあたりには対岸の猿が島とを結ぶ渡し場がありました。そのため「猿が島の渡し」とも呼ばれていましたが、大山参りの人々にもよく利用されていました。 | 各地の道すじを辿る-府中通大山道 | 磯部頭首工公園内 |
陣屋小路 | 南区新戸 2051 |
江戸時代に新戸村・磯部村などの相州五千石を所領していた内藤 清成は、ここに「内藤陣屋」と呼ばれる陣屋を構えていました。そのため、この路地を「陣屋小路」といいます。 | 陣屋稲荷前 | |
八王子道 | 南区磯部 1938 |
(右)北 八王子方面 南 座間方面 (左)おもに八王子へ向かう人々が行き来した道だったので、この名があります。 |
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ねこ坂 | 南区磯部 1910 |
昔、この坂で猫が踊っていたので、この名が..(不明)..といわれています。 | 新磯にある坂 ねこ坂 |
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まがり坂 | 南区磯部 2129 |
くねくね曲がっていたために、この名があります。また、「峰の坂(みねのさか)」とも呼ばれていました。 | 新磯にある坂 まがり坂 |
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みねん坂 | 南区磯部 4507 |
「峰の坂(みねのさか)」の意味で、東側に広がる峰へつづいていました。 | 各地の道すじを辿る-府中通大山道 | |
八幡坂 | 南区磯部 190 |
八幡宮のそばにある坂なので、この名があります。 | 各地の道すじを辿る-府中通大山道 |
相模台地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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たつ街道 | 南区相模台 1-13 |
(右)相模原台地をほぼ縦断するようにつづく道で、辰巳(南東)の方向に向かってのびているため、この名になったといわれています。 (左)北 淵野辺方面 南 座間方面 |
相模台まちづくりセンター前 |
東林地域
名称 | 所在地 | 案内文 | 関連館内資料 | 備考 |
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水道みち | 南区東林間 4-33 |
(右)東 横浜方面 西 津久井方面 (左)明治二十年に完成した横浜水道は、そのまま「水道みち」と呼ばれて人々に利用されてました。またこの道に沿って「水道新開(中村新開)が開かれています。 |
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野火よけ道 | 南区東林間 7-35 |
このあたりがまだ原野であったころ、野火を防ぐために道状に草が刈られていました。それはそのまま道として人々に利用され、「野火よけ道」と呼ばれていました。 | 南消防署東林分署前 |
〔 参考文献 〕
- 相模原市教育委員会 編 (1990) 『さがみはらの地名-村をつないだ道・坂・川』