府中通大山道 -道すじと道標-
この道は、府中方面から町田市(小野路・木曽)を経て境川を渡って相模原市内に入り、古淵、大沼西方、磯部を経て、猿ヶ島(磯部)の渡しより、相模川対岸の猿ヶ島へと続いていました。
境川より磯部のみねん坂下までは、先に整備された御尊櫃御成道のルートと重なります。
龍像寺坂
龍像寺坂はその名の通り、龍像寺参道前を通る坂道で、参道と交わる角には不許葷酒入山門」(“葷酒(くんしゅ)の山門に入るを許さず”と読み、ニンニクやニラなどの匂いの強い食べ物とお酒をお寺に持ち込んでいけないと言う意味)の禅宗の寺院特有の石柱が建てられています。
この坂の途中より当麻山無量光寺へと至る当麻山道が分かれており、分岐点には“古淵一本松”という松が高くそびえ立っていたと云われています。
この坂の途中より当麻山無量光寺へと至る当麻山道が分かれており、分岐点には“古淵一本松”という松が高くそびえ立っていたと云われています。
南区大野台付近
府中通大山道は御尊櫃御成道の他に、磯部地域や木曽地域を結んでいたとことから「磯部道」や「木曽道」とも呼ばれていました。
また、大山へ向かう人々を道者と呼んでいたことから、「道者みち」とも云われています。
この辺りは、緑地保全がなされたので大山道のルートが明確に残されていますが、麻溝台にはいると戦前は陸軍士官学校の演習地であったことから整地がなされ、その痕跡は消滅してしまっています。
また、大山へ向かう人々を道者と呼んでいたことから、「道者みち」とも云われています。
この辺りは、緑地保全がなされたので大山道のルートが明確に残されていますが、麻溝台にはいると戦前は陸軍士官学校の演習地であったことから整地がなされ、その痕跡は消滅してしまっています。
みねん坂
「みねん」は峰を意味しており、坂を上った東側に広がる台地を峰にたとえて名付けられました。
坂のふもとで道は分かれ、大山道は西へ、御尊櫃御成道は南へと進んでいきました。
坂のふもとで道は分かれ、大山道は西へ、御尊櫃御成道は南へと進んでいきました。
八幡坂
南側にある磯部八幡から名がついたこの坂を下ると、大山道は南へと転進します。
磯部の道標
所在地 | 相模原市南区磯部464 | |
---|---|---|
寸法 | 高さ | ? |
幅 | ? | |
奥行き | ? | |
形状 | ||
刻字 | 正面 | 右 大山 |
この道標のある付近には不動尊像の石仏が多く見られます。
猿ヶ島(磯部)の渡し
磯部から相模川を挟んで対岸の厚木市猿ヶ島を結んでいた猿ヶ島(磯部)の渡しは、現在の磯部頭首工のあたりにありました。
新編相模国風土記稿によると「渡船場あり。矢倉澤道の係る所なり。対岸猿ヶ島村にて進退す。[磯部村の項]」とあります。
新編相模国風土記稿によると「渡船場あり。矢倉澤道の係る所なり。対岸猿ヶ島村にて進退す。[磯部村の項]」とあります。
〔 参考文献 〕
- 相武史料刊行会 編 (1929) 『新編 相模風土記:淘綾郡 大住郡 愛甲郡 高座郡 津久井郡』