橋本地域の名のある坂
名称 | 所在地 | 備考 |
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うま坂 | 東橋本 | |
まつば坂 | 東橋本 | 別称:天縛坂 |
ニ十三夜坂 | 東橋本 | |
あか坂 | 橋本台 |
うま坂
東橋本にある蓮乗院の裏手の道を境川方向に向かうとそれほど勾配のない下り坂にあたります。この坂がうま坂になります。
この坂は昔、大変急だったそうで、馬も難儀したことからこの名が付いたと云われいます。
まつば坂
天縛皇神社の南西に西から東へと下る坂道がまつば坂といいます。
この辺りの集落がまつばといったことに由来しており、天縛皇神社へ通じる坂でもあったので天縛坂とも呼ばれたようです。
二十三夜坂
境川にかかる蓬莱橋から南へほぼ直線に登る坂道を二十三夜坂といいます。
この坂の名の由来は、二十三夜講の本尊である勢至菩薩が坂下に安置されたことにあります。
以前は精進橋とも呼ばれた蓬莱橋の周辺では、よくよく事故が起こり物の怪の仕業や祟りなどと言われていました。安永年間に大塚 市左衛門が勢至菩薩を安置し橋供養を行ったそうです。
この勢至菩薩、「橋の神様」として崇められていましたが、いつの間にか“橋”が“足”に転じて「足の神様」として信仰されているそうです。
あか坂
市立相模原北公園から北総合体育館前を通り下九沢へ抜ける緩やかな坂道が「あか坂」になります。名の由来は不明ですが、他の坂と同じく赤土が露出することから名づけられたのでしょうか。
この坂を登った先は昔、東へと一本道が続いており、橋本新田(現在の緑区橋本台1丁目・中央区南橋本3丁目)で八王子通り大山道 当麻廻り(現・国道129号線)と交差し、そのまままっすぐに久保沢道(八王子道・神奈川道)と進むことができました。
また坂を降り、十軒家集落で北西へ向かうと久保沢宿へとでることができます。
この道すじが久保沢道であったという資料はありませんが、脇往還の役割を果たしていた可能性があります。また、この他にも橋本方面へ続く橋本街道(九沢みち)や上溝亀ヶ池八幡と城山川尻八幡を結んでいたというししみち(鎌倉道)が坂上を通っており主要な道筋であったことが覗えます。