上溝地域の名のある坂
名称 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|
うま坂(うまざか) | 上溝(丸崎) | |
横山坂(よこやまざか) | 上溝(丸崎) | |
和田坂(わだざか) | 上溝(丸崎) | |
はちまん坂(はちまんざか) | 上溝(丸崎) | |
せどむら坂 | 上溝(日金沢) | |
上溝(日金沢) |
うま坂
横山坂の南より北東へ緩やかなカーブを描いて上がる坂道がうま坂となります。
横山坂
丸崎交差点から陽光台へ上る坂道を横山坂といいます。
和田坂
亀ヶ池八幡宮の北側に境川へ向けて下る緩やかな坂道が和田坂です。
鎌倉時代、源 頼朝の家臣であった和田 義盛が、この坂の袂で弁当をつかった際に箸をその場に刺したところ、箸が根づいて大きな榎の木になり「和田榎」と呼ばれたことから、この坂も和田坂と呼ばれるようになりました。
現在、由来となった榎はありませんが、坂上に生える榎がその子孫ではないかとも言われています。
せどむら坂
横山台より上溝へ横山丘陵緑地のなかを下る坂道を、せどむら坂と呼びます。
“せどむら”とは村の北方を指し、坂の下にあった集落がこのように呼ばれたことからこの名がついたと言われます。
昔は急勾配の坂でしたが、明治29年(1896年)ごろに地元有志により1ヶ月という早さで改良工事で行われました。このことを記念して坂下に石碑が建てられています。
坂の途中には2箇所の穴が掘られたところがあり、現在は竹矢来で塞がれています。
これは戦時中の掘られた防空壕の跡ともいわれています。
〔 参考文献 〕
- 相模原市教育委員会 編 (1984) 『地名調査報告書』
- 相模原市教育委員会 編 (1990) 『さがみはらの地名:村をつないだ道・坂・川』