相武電鉄資料館

田名地域の名のある坂

名称 所在地 備考
あか坂 田名(赤坂) 八王子通大山道田名廻りルート上
うま坂 田名(望地) 詳細は“八王子通大山道田名廻り-六倉(望地)の渡しへの道すじ”にて
かえむ坂 田名(望地)  
しろ坂[新] 田名(久所)  
しろ坂[旧・旧々] 田名(久所) 八王子通大山道田名廻りルート上
ひの坂 田名(久所) 別称:たぬき坂
滝坂 田名(滝)  
山王坂 田名(滝)  
でいの坂 田名(半在家) 詳細は“八王子通大山道田名廻り-六倉(望地)の渡しへの道すじ”にて
田名宿坂 田名(陽原)  
法仙坊坂 田名(陽原) 詳細は“昔話に在る地を巡る-法仙坊の伝説”にて
岩切坂 田名(望地河原) 別称:うま坂
うま坂(うまざか) 田名塩田  
みや坂 田名塩田  

かえむ坂

写真:かえむ坂の景色  図表:かえむ坂周辺地図



 望地弁財天社の西側にある急な坂が、かえむ坂になります。
 その名の由来は定かではありません。



しろ坂

写真:しろ坂の景色  図表:しろ坂周辺地図



写真:しろ坂の地名標柱  田名堀之内地区から水郷田名(久所)へ下る県道54号線の旧道にあたる坂道が「しろ坂」となります。
 この坂は、鎌倉時代にこの辺りを統治していた横山党田名氏の居館に続く道であったことから「城坂」とも呼ばれ、また明治から昭和初期にかけて行われた改修工事の際、露出した岩盤が白く見えたため「白坂」となったとも言われています。
 なお、現在の県道(途中で右折せず真っ直ぐ下る坂)は田名バイパスと呼ばれ、高田橋が架け替えられたのと併せて、昭和50年(1975年)に開通しました。



ひの坂

写真:ひの坂の景色  図表:ひの坂周辺地図



写真:ひの坂の地名標柱 写真;狸菩薩の祠
 県道相模原愛川線の坂道(田名バイパス)を下ったところにある細道を左へ、大堀(相模原幹線用水路)に沿って進むと、陽原地区へ登る細い坂道があります。
 これがひの坂といい、火の坂とも呼ばれます。

 坂下には狸菩薩を祀った祠があるかわった名の坂には狸にまつわる言い伝えが残されています。



滝坂

写真:滝坂の景色  図表:滝坂周辺地図



写真:滝坂地名標柱  堀之内(坂上)地区から滝の宋祐寺参道に続く九十九折の坂道を「滝坂」と呼びます。
 地区や坂の名前になっている“滝”は、“断崖を指すだき”という言葉に由来し、この地区が断崖に囲まれていることから、このように呼ばれるようになったそうです。
 また、崖のいたるところから湧き水が流れ出し、滝のように見えることからとも言われています。


秋葉大権現

 坂の下り始めの右手には、秋葉大権現を祭った石柱と石灯篭を見ることができます。

写真:秋葉大権現の石柱 写真:傍にある秋葉灯篭

 傍にある石燈篭には安永年間に建立されたものとであろうと推測されます。



山王坂

写真:山王坂の景色  図表:山王坂周辺地図



写真:山王坂の碑 写真:徳本念仏塔
 田名の滝地区から相模川沿いに大島の清水地区へ向かう道の途中、ちょうど滝(下河原)の渡しがあったあたりから登りとなる坂が、この山王坂になります。
 昔は宋祐寺の裏手あたりが丘状に一番高くなっており、そこに山王社があったことからこの名前が付けられました。
 坂の頂上となっている場所には、相模原市の登録有形民族文化財に指定されている高さが65cmほどの徳本念仏塔[ exp ]があり、地域の人々はこの付近のことを“徳本様”と呼んでいたそうです。

 昔はこの辺りにもケモノがでたとのことで、狐にばかされたという話しも残っています。



田名宿坂

図表:田名宿坂周辺地図



 県公社相模原田名団地の東側にある坂道が田名宿坂となります。
 昭和8年に新道が開通するまで、その東側に旧道がありました。



岩切坂

写真:岩切坂の景色  図表:岩切周辺地図




 県道48号線の塩田中央交差点を北に西に向かって老人ホームのところを左へ折れると、望地の耕地へ降りる坂道があります。この坂が岩切坂になります。
 この坂の周辺に相模原市高座郡部では唯一の採石場(岩切場)がありました。
 
 
岩切場のこと
写真:塩田地区の岩切場跡  
 田名塩田地区での岩石の切り出しは、明治初期(明治15年頃)から始まり、昭和35年頃まで続けられていたそうです。
 このあたりは、およそ200万年~300万年前に堆積した中津層と呼ばれる地層で、海進と海退を繰り返しのなかで化石を多く含む水成岩ができあがりました。
 ここで採れる岩石は「塩田岩」と呼ばれて、柔らかで加工しやすい上に、火力に強く火にかけると固くなりレンガより丈夫になるという性質を持っていたことから、竈や暖炉、コタツなど火を使う製品に加工されることが多かったそうです。
 養蚕に関わりのある土地柄、繭室を暖めるための七輪や製糸用の竈にも用いられたとのこと。
 市立淵野辺小学校には、この塩田岩を使った給食調理用の竈がおかれていました。
 
 岩の切り出しは年中行われていましたが、特に農閑期の11月末から4月にかけて多く行われたそうです。
 最盛期には10ヶ所ほど採石場があり、100名近い人々が従事していました。
 岩の切り出しには、「つる」という工具で溝を掘り「矢」をいれて切り出していきます。平たくするには「たたき」という道具を用いて削っていきました。
 下に掘り下げれば掘り下げるほど、良い石が採れるということで現在の地面より15尺(約4.5m)も掘って石を切り出していたそうです。
 
 こうして切り出された岩は、人の背に背負われたり「かぐらさん」という道具で引上げられたりして、岩切坂の上まで運ばれて車に載せられて運ばれていきました。また、厚木や平塚方面へは相模川を船で下っていたそうです。
 



みや坂

写真:みや坂の景色  t図表:みや坂周辺地図



写真:みや坂地名標柱 写真:天地神社
 国道129号線の上溝バイパス入口交差点から田名塩田方面に向かう道の途中にある坂をみや坂と呼びます。
 坂の途中には天地神社があり、これが名前の由来となっています。



〔 参考文献 〕
  • 相模原市教育委員会 編 (1984) 『地名調査報告書』
  • 相模原市教育委員会 編 (1990) 『さがみはらの地名:村をつないだ道・坂・川』
  • 三栗山財産管理委員会 編 (1993) 『田名の歴史』
トップに戻る