「火の坂」とも言われるこの坂には、次のような伝説が残っています。
昔、この坂の上に綿糸を紡いで暮らしていたお婆さんがいたそうです。
ある秋の夜、『今夜は寒いので、暖をとらせて下さい』と言う声に、お婆さんが戸を開けると、見知らぬみすぼらしい男が入ってきて、何も言わずに囲炉裏端に座り込んで暖をとり始めました。お婆さんは『こいつはタヌキだな』と思いましたが、何も言わずに暖をとらせてやったそうです。
その男に化けたタヌキは、それから毎日のよう勝手に上がりこむと我が物顔で囲炉裏の火にあたり来るようになり、そのうち、化けるのが面倒になったのかタヌキの姿のままでやってくるようになりました。
さすがにお婆さん、その傍若無人な振る舞いに頭にきて、ある雪の晩、いつものように囲炉裏端で居眠りを始めたタヌキの股座めがけて囲炉裏の火を投げつけます。
タヌキは火だるまになって外に飛び出し、そのまま坂道をころころ転がり落ちるて息絶えてしまったそうです。
タヌキが転げ落ちていった坂の道端の草が黒く焦げていたことから、誰ともなく「火の坂」と呼ぶようになったと言われています。
ところで坂のふもとにある洞窟には、小さな祠が収められています。
やはり、この祠も先ほどのタヌキの伝説と関わりがありました。
大正末期、この近くにある水車場に江成さんという夫婦が住んでいました。この江成さんの奥さんのおもとさんが原因不明の病気にかかり、医者に見せても薬を飲ましても、一向に回復する気配がありません。
江成さんは、信心している妙法行者に祈祷してもらうことしました。
すると、タヌキの精霊と名乗るものが出てきて、『わしは、ひの坂で火だるまになって死んだタヌキの霊である。なかなか成仏できぬ故、わしを狸菩薩として坂の下に祭ってもらえないだろうか。そうすれば、病を治してやろ。』と告げました。
そこで江成さん夫婦はお告げのとおり、狸菩薩の祠をつくりました。すると、おもとさんの病はたちまち治ってしまったそうです。
この話が近隣に伝わると、大勢の人々がお参りに来るようになりました。そこで、坂道を通る人の邪魔にならないようにと、穴を掘って祠をその中に移し今のような姿となったとのことです。
昔話に在る地を巡る
ひの坂の謂れ
〔 参考文献 〕
- 三栗山財産管理委員会 編 (1993) 『田名の歴史』