相武電鉄資料館

相模原(旧市域)の神社・小祠

田名地域

名称 所在地 備考
田名八幡宮 中央区水郷田名1-8  
天地神社 中央区田名塩田4-1  
白子園稲荷神社 中央区水郷田名2-26  
大鷲神社 中央区水郷田名2-26  
石神社 中央区田名4327 詳細は“昔話に在る地を巡る-三カ所橋供養塔にまつわる話”にて
法仙坊大明神 中央区田名7675 詳細は“昔話に在る地を巡る-法仙坊の伝説”にて
蚕影山神社 中央区田名4998  
弁財天 中央区田名4977  
三社様 中央区田名5647  
稲荷神社 中央区田名5902  
石神社(跡) 中央区田名1167 廃社
半在家山王神社 中央区田名5055  
稲荷神社 中央区田名7361  
大神宮社(跡) 中央区田名
(葛輪・神明平付近)
廃社

田名八幡宮

写真:田名八幡宮
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天地神社

写真:天地神社
創建 享保11年(1727年)以前?
祭神 天常立命
開祖 -
祭日 8月24日
合祀社




 天地神社は江戸時代、天地大明神とも称され、同じ名を持つ社は全国でも3ヶ所しかないと言われています。
 久所地区の田名八幡宮で行われる「的祭」は当初はここの祭事であったと云われ、八幡宮の神職が的祭を執り行う前に天地神社を参拝していたそうです。

 天地神社があることにちなみ、前を通る坂道は“みや坂”と名付けられています。



白子園稲荷神社

写真:白子園稲荷神社
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大鷲神社

写真:大鷲神社
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蚕影山神社

写真:蚕影山神社
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弁財天

写真:弁財天
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三社様

写真:三社様
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 天王社と天神社、秋葉社が合祀されていることから“三社様”と呼ばれています。



稲荷神社

写真:稲荷神社
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石神社(跡)

写真:徳本念仏碑
 明治期に作成された迅速測図には、この辺りに石神社があったとされています。
 現在は徳本念仏碑のみが残されています。


半在家山王神社

写真:半在家山王神社
創建 平安時代
祭礼 9月13日
(近隣の休日に実施)
合祀 稲荷社《本殿右》
社宮司社(または石神社)《本殿左》




 山王社の祭礼は通称、「灯篭祭」または「いもっ葉灯篭(道路)」とも言われ、この日はよく雨が降ることが多く、石灯篭に点した火が消えそうになったので、畑の芋の葉を傘の代わりしたことからこのように呼ばれることとなったということです。



稲荷神社

写真:稲荷神社
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大神宮社(跡)

 大神宮社は田名の北西部、葛輪と神明平の境あたりあったと云われています。

 御神体は直径70cmほどの丸い鉄板で、大日如来と「日」「月」が浮き出て見えるそうです。また、「天照大神 別当 金泉寺」の文字が刻まれていたことから、九沢山金泉寺(下九沢)の持分であったことが覗えます。

 明治の頃に金泉寺と土地の有力者の間で大神宮社の所有権について争いが起こり、裁判の結果、御神体は金泉寺、土地は相手方のものとなりました。建物自体は第二次世界大戦直後まで残り、1m70cmほどの高さの木製の祠であったそうです。また、御神体は現在も金泉寺に保管されているとされています。



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