相武電鉄資料館

田名廻り八王子通大山道 -道すじと道標-

 大山参詣の人々が行き交ったとされるこの道は、両国橋から相模原市内へ入ると橋本宿に達し、棒杭で当麻廻りの道すじと分かれた後、新道坂、下九沢塚場、あか坂と経て、しろ坂を下り、小沢(久所)の渡しへと続いていました。


橋本・棒杭の道標
 田名廻りと当麻廻りの分かれ道の辺りを“棒杭”といいます。
 これは、この地に大山道の道標(棒杭)があったので、そのような名がつきました。

所在地 相模原市緑区橋本1-17
寸法 高さ 151cm
35cm
奥行き 29cm
形状 角柱
刻字 正面 〔肉彫坐像〕右大山みち 田名・・・
右面 北 八王子道
左面 南 あつぎ道
裏面 安政・・・

写真:地名標柱「棒杭」
 この道標は、田名の宿場の人々が大山参りの旅人を多く誘致しようと、田名方面が大山への近道である旨を刻んで建てたものです。
 ただ、「右大山みち」を“うだいさん”みちと読んでしまうこともあったらしく、険しい山道と勘違いをして田名廻りの道を避ける人もいたとか。

 現在、道標は近くの方の庭先に大切に保管されています。


新道坂
写真:新道坂と地名標柱「新道坂」
 相模原台地上段にある下九沢中ノ沢から中段部の下九沢塚場に下る坂が新道坂になります。
 この坂は昔、勾配がきつく祭りの神輿も上がれぬほどだったため改修工事が行われ、その際に新道坂と命名されました。


下九沢塚場
写真:地名標柱「大山道」
 塚場は、大山道と津久井久保沢方面からの道すじ交わる場所で、小さな宿場町ともなっていました。

あか坂
写真:あか坂と地名標柱「あか坂」
 田名の四ツ谷地区に下る坂道をあか坂といい、昔は赤土の露出した坂であったことからこの名がついたとのことです。
 付近の小字も“赤坂”といいます。

田名上四ツ谷
 田名地域には、いくつかの道標が残されています。

写真:田名上四ツ谷の不動尊道標
現所在地 相模原市中央区田名4324
(石神社境内)
旧所在地 不明
寸法 高さ 111cm
30.5cm
奥行き 21.5cm
形状 山状角柱
刻字 正面 〔肉彫不明王坐像〕是方 大山道
右面     ほし賀や
是方 たいま山  ○
    あ○○
左面     ○久井
是方        道
    くぼ○○
裏面

 建立は文久三亥年十一月吉祥とあります。


写真:二ヶ所橋供養の道標
現所在地 相模原市中央区田名4324(石神社境内)
旧所在地 相模原市中央区田名4326
寸法 高さ 54cm
20cm
奥行き 50cm
形状 山状角柱
刻字 正面 ・・・化二・・・
 三ヶ所橋供養
右面       六倉渡
大山道
      ○○渡
左面 八王子道
裏面

 建立は文久二乙丑戌九月四日 四ツ屋とあります。
 川の無い四ツ谷地区にこの橋供養が建てられた理由として三カ所橋供養塔にまつわる話が残されています。


しろ坂旧道・旧々道七曲り

写真:しろ坂旧道

 現在のしろ坂のすぐ西側に階段を含む坂道があります。これがしろ坂の旧道だったそうです。
 このしろ坂旧道の坂下には、大山道の道標が二本建てれています。

写真:しろ坂の旧大山街道道標

所在地 相模原市中央区水郷田名3-1
寸法 高さ 71cm
18.5cm
奥行き 15cm
形状 角柱
刻字 正面 旧大山街道
右面
左面
裏面


写真:しろ坂の旧々大山街道道標
現所在地 相模原市中央区水郷田名3-1
旧所在地 不明
寸法 高さ 95cm
18cm
奥行き 15cm
形状 角柱
刻字 正面 旧大山街道
右面 七曲り
左面
裏面

 現在のしろ坂と旧道の間辺りには、七曲りと呼ばれていた2代前のしろ坂がありました。


小沢(久所)の渡し
写真:田名久所地区遠景
 田名久所と相模川を挟んで対岸の交通路は、高田橋が出来る大正13年(1924年)まで渡し舟で結ばれていました。
 この渡船場を使う人々で久所の辺りには賑わい、川遊びをする人なども相まって昭和404年頃まで料理屋などが並び立ち大層なに賑わいを見せたとのことです。

 小沢(久所)の渡しで相模川を越えると、愛川町の小沢から大山道は続きます。

〔 参考文献 〕
  • 加藤 重夫 (1985) 『橋本の昔話』
  • 三栗山財産管理委員会 編 (1993) 『田名の歴史』
  • 相模原市教育委員会 編 (1978) 『石仏調査報告書(さがみはらの文化財 第13集)』
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