相武電鉄資料館

文化財案内標柱一覧

 愛川町が旧跡、坂道などに設置した標柱を一覧としました。

 角田中津三増田代半原



角田地域
名称 所在地 案内文 関連館内資料 備考
高峰村役場跡 角田1413 たかみねむらやくばあと
明治期から昭和十三年まで、高峰村役場はここに置かれていた。
  下之街道公民館
角田学校
(養成館第一支校)跡
角田2489 すみだがっこうあと
明治六年、この寺の建物を校舎として開校、同二十七年、高峰小学校の統合されるまで存続した。
愛川の寺院
福泉寺
旧角田学校は
福泉寺に置かれた
小沢坂 角田726 -こざわざか-
中津原台地上段の中津角田境と下段の小沢を結ぶ坂。道路整備前は屈曲の多い道で大山街道とも呼ばれていました。
あいかわの坂道
小沢坂
 
宮坂 角田3042 -みやさか-
地神社から箕輪辻付近に至る坂です。
「宮坂」の名称も神社に由来します。
あいかわの坂道
宮坂
 
桜坂 角田3042 (右)
別名 さすさか
(左)
-さくらざか-
下之街道公民館付近から原箕輪に登る急坂。上半分は現在、地方主要道相模原愛川線に取り込まれている。
あいかわの坂道
桜坂
 
弁天坂 角田1952 -べんてんざか-
角田大橋西にある弁天社前から東に約五〇メートルほど続く坂。旧坂は北側上段にあり、いしあらいざかの別名もあった。
   



中津地域
名称 所在地 案内文 関連館内資料 備考
中津村役場跡 中津542 (所在地校地につき確認不可)   中津小学校内
大山道 中津1902 -おおやまみち-
この道は相模原方面から当地を経て大山に至る古道の一部である。
   
信玄道 中津171 -しんげんみち-
三増合戦の折、武田信玄の軍か通ったという伝承がある古道。現在は、その大部分が県道に重なっている。
   
水道坂 中津12 -すいどうざか-
大正七年にできた横須賀水道の敷地を利用した坂道です。
あいかわの坂道
水道坂
 
新坂 中津551 (右)
別名 やながわざか・しものさか
(左)
-にいさか-
別名やながわざかは、かつての近在居住者姓を由来とする。
あいかわの坂道
新坂
 
熊坂 中津482 (右)
別名 幣使坂・七曲り坂
(左)-くまざか-
ここから下谷までの坂をいいます。八菅山熊野権現へ向かう坂が元になっての名ともいわれます。
あいかわの坂道
熊坂
 
坂本坂 中津5639 -さかもとさか-
明神前から坂本へ下る坂をいう。左が旧道で、右が新道。新道は大正五年に開通、今は県道となっている。
   
不動坂 八菅山207 -ふどうざか-
かつて八菅橋の右岸たもとには不動石像がありました。ここから北西に向かって登る急坂をいいます。
あいかわの坂道
不動坂[新]
 



三増地域
名称 所在地 案内文 関連館内資料 備考
三増峠登り口 三増2166 みませとうげのぼりぐち
この峠は、三増合戦のおり武田勢が帰陣に用いたと伝えられるなど、愛甲と津久井、山梨方面とを結ぶ道筋の要衝であった。
   
栗沢 三増21437 -くりさわ-
三増山中を水源とし、南東に流れる沢。角田下ノ街道地区を経て中津川に注ぐ。三増合戦の記録にも見える。
   



田代地域
名称 所在地 案内文 関連館内資料 備考
船繋場跡 田代278 ふなつきばあと
昔はこの近くを中津川が流れており、ここは舟を繋いで出水に備えた。また、非常の時のために番小屋もあった。
   
水道みち 田代460 -すいどうみち-
旧海軍の横須賀軍港水道の敷設地上にある道路。横須賀まで至る水道管が敷設されています。
愛川町内の横須賀水道を巡る  
しべ山坂 田代1493 -しべやまざか-
しべ山(昔、水防の応急材料にした雑木の細枝を採ったところ)に至る坂をいう。
あいかわの坂道
しべ山坂
 



半原地域
名称 所在地 案内文 関連館内資料 備考
板橋沢(深沢) 半原250 -いたばしざわ(ふかさわ)-
仏果山東側の深沢谷(ふかさわやと)中津川に流入する沢を深沢というが、途中、甲州道のわたるあたりから下流を板橋沢と呼んだ。
   
木戸口坂 半原105 -きどぐちざか-
ここから忠霊塔のわきを経て、昔あったという細野城木戸口あたりへ至る坂をいいます。
あいかわの坂道
木戸口坂
 
馬渡坂 半原295 -まわたりざか-
愛川町役場半原出張所からここを経て国道四一二号線に至る坂をいいます。
あいかわの坂道
馬渡坂
 
馬坂 半原3820 -うまさか-
この沢沿いから臼ヶ谷へ上る坂をいう。以前の上り口は八十メートルほど下にあった。
あいかわの坂道
馬坂
 
八幡坂 半原4558 -はちまんさか-
若宮八幡社のわきから和平の大地のはしに至る坂をいいます。
あいかわの坂道
八幡坂
 
なんにょう坂 半原4668 -なんにょうさか-
和平地区のもっとも南寄りノ地、南入から樫原の観音堂跡(大門)へと通ずる坂をいいます。
あいかわの坂道
なんにょう坂
 

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