相武電鉄資料館

相模川水系発電追録

串川発電所

図表:串川発電所施設地図 【所在地】
 発電所 : 相模原市緑区小倉字小倉
 取水口 : 相模原市緑区小倉字大保戸
 放水口 : 相模原市緑区小倉字和田

【開設時期/閉鎖時期】
 大正 9年11月 / 不明

【所属】
 湘南村 〔開設〕
    ⇒ 日本電力 ⇒ 関東配電? ⇒ 東京電力?

【昭和3年次 概要】
取水河川 水量 落差 発電量 常用・予備
串川 18個
(0.50立方m/秒)
28.0尺
(8.48m)
30Kw 常用

【昭和3年次 概要】
取水河川 水量 落差 発電量
串川 0.03立方m/秒 8.5m 30Kw



村直営の電気事業

 旧城山町に合併されるまでの大正から昭和にかけて、相模川右岸の小倉及び葉山島は湘南村という村があり、串川発電所はこの湘南村によって建設・運営されていました。
 大正6年(1918年)には対岸の川尻村へ相甲電気により送電が開始されましたが、湘南村へ電力線の延長は採算性の面から見送られてしまいます。
 そこで当時の湘南村村長であった田野倉 彦太郎氏は、村独自での電力供給を企画し、大正8年(1920年)に神奈川県へ水力発電所設置を申請、翌年の大正9年(1921年)に承認がなされると、7月に建設工事を開始しました。
 総工費7万円は村債の発行で賄い、11月には竣工、電力供給を開始することができました。
 大正12年(1924年)8月の横浜貿易新報には次のような記事があります。
県下唯一の電化村たらんのしつつある津久井郡湘南村では今回、同村の大字たる小倉及び葉山島の区有財産である山林を売却して、村債償還の一部と成すべく村民の賛を得たが、右(原文のまま)は大正九年中経費七万円余を投じて村営電力事業を起こし、爾来着々として村内を電化の文化村たらしむべく努力しつつある。戸数僅か二百有余の農村である。
 村民の期待を受けて開始された電気事業でしたが、昭和4年(1929年)10月に起きた世界恐慌により村内の主要産業であった養蚕業に深刻な影響を与え、昭和8年ごろより電気料の滞納が多くなります。
 事業再建が困難となった湘南村は昭和13年(1938年)12月20日に神奈川県地方課の斡旋を受け、日本電力へ電気事業を7,000円で売却することとなります。


串川発電所の様子

写真:水圧鉄管取り付け基礎(敷地外より撮影)
【水圧鉄管】

延長 40m(135尺)
内径 0.5m(1尺7寸)

 発電所建屋跡地の後背には、水圧鉄管を取り付けるコンクリート基礎が一部残されています。


写真:発電所建屋跡前道路
【発電所】

建屋
基礎 石材及びコンクリート
上屋 木造亜鉛引鉄板葺

原動機
  昭和10年
種類 フランシス
一台あたりの
出力
34kw
常用(総出力) 1個(34kw)
予備(総出力)
製造会社 関東電気鉄工所

発電機
  昭和10年
種類 三相
一台あたりの
容量
36Kw
電圧/周波数 3,000V/50Hz
回転数 1,000回/分
常用(総容量) 1個(36Kw)
予備(総容量)
製造会社 関東電気鉄工所

 建物自体は撤去されており、その痕跡を見つけることもかないませんでした。



【放水路】

放水路概要
延長 32m(18間)
構造 側壁及び床面共、練張石

 発電所建屋のすぐ前にある串川に発電用水を放流することになりますが、放水路の途中に分水枡がありもう一本が水路が分岐しています。

写真:発電所建屋跡前道路 写真:発電所建屋跡前道路
写真:発電所建屋跡前道路 写真:発電所建屋跡前道路

 分岐した水路は串川と平行して東へ向かいますが、途中でその跡は不鮮明となっています。

〔 参考文献 〕
  • 神奈川県 編 (1927) 『吾等の神奈川県』
  • 逓信省電気局 編 (1927)『電気事業要覧. 第26回 昭和10年3月』
  • 城山町 (1993) 『城山町史7 通史編 近現代』
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