相模川水系発電追録
塩川発電所
【所在地】発電所 : 愛甲郡愛川町田代
取水口 : 愛甲郡愛川町田代
放水口 : 愛甲郡愛川町田代
【開設時期/閉鎖時期】
大正 4年 / 不明
【所属】
愛川電気〔開設〕 ⇒ 相武電力 ⇒ 日本電力
【昭和3年次 概要】
取水河川 | 水量 | 落差 | 発電量 | 常用・予備 |
---|---|---|---|---|
塩川 | 25個 (0.69立方m/秒) |
314尺 (95.15m) |
45Kw | 常用 |
【昭和10年次 概要】
取水河川 | 水量 | 落差 | 発電量 |
---|---|---|---|
塩川 | 0.07立方m/秒 | 95.2m | 45Kw |
塩川発電所について
中津川で最初に設置された商用の水力発電所で、馬渡に発電所が置かれたあとは愛川村第一発電所、または田代第一発電所とも呼ばれていました。
あいかわ景勝10選のひとつともなっている塩川滝の上流にある江ノ島渕より土管で引き込まれた水は、小丸山に設けられた貯水池から水圧管路を経て角田2457番地付近に設けられた発電所へと流れます。
発電所のあった辺りは、国道412号線半原バイパスの敷地となり当時の面影もありませんが、小丸山の中腹にあった貯水池や取水口から貯水池までの送水管の一部が現在も残されています。
塩川発電所の概要
【上部貯水槽】
上部貯水槽は発電所後背の通称 小丸山に2ヶ所設置されていました。
現在でも貯水槽(貯水池)の痕跡は残されています。(詳細は後述)
【発電所】
昭和10年 | |
---|---|
種類 | フランシス形 |
一台あたりの 出力 |
66kw |
常用(総出力) | 1個(66kw) |
予備(総出力) | - |
製造会社 | E.W |
昭和10年 | |
---|---|
種類 | 三相 |
一台あたりの 容量 |
50KvA |
電圧/周波数 | 3,500V/50Hz |
回転数 | 1,000回/分 |
常用(総容量) | 1個(50KvA) |
予備(総容量) | - |
製造会社 | 川北 |
上部貯水槽の様子
小丸山の上部貯水槽(小丸山貯水池)は2つの池で構成されていました。(ここでは山裾・発電所側を第1貯水池、山頂側を第2貯水池と呼びます。)
① 第1貯水池
第1貯水池は南北に長い楕円形をしており、南北に20m、東西10mほどで深さは3m程度あります。淵の部分はさらに1mほど広くなっています。
側面はコンクリートで固められており、淵の部分には石が組まれています。なお、南西側の一部だけが全面石組みとなっています。
取水口から送水管は北西にあり、直径40~45cmのコンクリート製となっています。
北東側には放水口があります。写真では枯れ葉に埋もれてしまっていますが僅かに顔を覗かせています。
この裏側には、放水口からつながるコンクリート製の送水管を見ることができます。
② 水槽と何か基礎部分
第1貯水池の放水口から延びる送水管はすぐ側にある水槽につながっていたようです。
何故か地中から浮き上がってしまい、ほぼ全体を露出してしまっています。
高さは約3mほどで上部から2mのところに直径40mの送水管を接続する口があります。土のつき具合からみると送水管接続口あたりまで埋まっていて、2mほどか地上に出てたようですが。
天頂部分は開口しているのですが、この水槽が何のため設けられたのか不明です。
コンクリート製水槽の東側にやはりコンクリートで出来た小さな構造物があります。
上部は0.6m×0.6mで斜面に向かって塗り固められています。こちらも何のために作られた不明です。
③ 水圧鉄管敷設跡らしき溝
第1貯水池の東には、水圧鉄管が通っていたような深さ1mあまりの溝が山裾まで続いています。左の写真は貯水池付近、右の写真は国道付近まで下った辺りのものです。
しかし、この溝が貯水池とつながるあたりに、土台などの鉄管が通っていたことを示すものは見つかりませんでした。
④ 平地
第1貯水池の東、水圧鉄管敷設跡の溝の南側には人の手により整地されたと思われる平地があります。
特に何の痕跡もなく、ここの用途も不明です。
⑤ 第2貯水池
第2貯水池は第1貯水池の西の山頂側にあります。
深さは第1貯水池と変わりませんが、30m×30mほどの四角形をしており、第1よりも貯水量が多いようです。
東南の部分のみ、2辺が石垣で組まれた「コ」の字のようになっている部分があります。
ここには穴が掘られていた形跡があります。第1貯水池の西南の石垣部分にも酷似したところがあり、2つの池がトンネルでつながっていた可能性があります。
南側にはコンクリートで固められた擁壁があります。。
このコンクリートの壁ですが、東側が貯水池の外まで延びています。
⑥ 分水枡
貯水池の北西に第1貯水池と第2貯水池とに用水を流す分水枡がありました。大きさは1m×1mほど、深さも1m程度のものとなっています。 危険防止のため、丸太が敷かれています。
各貯水池への流入口には流れを調整できるように弁をはめ込める溝が掘られています。
第1貯水池は南北に長い楕円形をしており、南北に20m、東西10mほどで深さは3m程度あります。淵の部分はさらに1mほど広くなっています。
側面はコンクリートで固められており、淵の部分には石が組まれています。なお、南西側の一部だけが全面石組みとなっています。
取水口から送水管は北西にあり、直径40~45cmのコンクリート製となっています。
北東側には放水口があります。写真では枯れ葉に埋もれてしまっていますが僅かに顔を覗かせています。
この裏側には、放水口からつながるコンクリート製の送水管を見ることができます。
② 水槽と何か基礎部分
第1貯水池の放水口から延びる送水管はすぐ側にある水槽につながっていたようです。
何故か地中から浮き上がってしまい、ほぼ全体を露出してしまっています。
高さは約3mほどで上部から2mのところに直径40mの送水管を接続する口があります。土のつき具合からみると送水管接続口あたりまで埋まっていて、2mほどか地上に出てたようですが。
天頂部分は開口しているのですが、この水槽が何のため設けられたのか不明です。
コンクリート製水槽の東側にやはりコンクリートで出来た小さな構造物があります。
上部は0.6m×0.6mで斜面に向かって塗り固められています。こちらも何のために作られた不明です。
③ 水圧鉄管敷設跡らしき溝
第1貯水池の東には、水圧鉄管が通っていたような深さ1mあまりの溝が山裾まで続いています。左の写真は貯水池付近、右の写真は国道付近まで下った辺りのものです。
しかし、この溝が貯水池とつながるあたりに、土台などの鉄管が通っていたことを示すものは見つかりませんでした。
④ 平地
第1貯水池の東、水圧鉄管敷設跡の溝の南側には人の手により整地されたと思われる平地があります。
特に何の痕跡もなく、ここの用途も不明です。
⑤ 第2貯水池
第2貯水池は第1貯水池の西の山頂側にあります。
深さは第1貯水池と変わりませんが、30m×30mほどの四角形をしており、第1よりも貯水量が多いようです。
東南の部分のみ、2辺が石垣で組まれた「コ」の字のようになっている部分があります。
ここには穴が掘られていた形跡があります。第1貯水池の西南の石垣部分にも酷似したところがあり、2つの池がトンネルでつながっていた可能性があります。
南側にはコンクリートで固められた擁壁があります。。
このコンクリートの壁ですが、東側が貯水池の外まで延びています。
⑥ 分水枡
貯水池の北西に第1貯水池と第2貯水池とに用水を流す分水枡がありました。大きさは1m×1mほど、深さも1m程度のものとなっています。 危険防止のため、丸太が敷かれています。
各貯水池への流入口には流れを調整できるように弁をはめ込める溝が掘られています。
貯水池までの送水管
貯水池までの送水管も所々で残されているようです。
〔 参考文献 〕
- 愛川町教育委員会 (2001) 『愛川町の近代遺産』(愛川町文化財調査報告書第22集)
- 小澤 ユキ 他 (2008) 『愛川町の昔と今2:住民史・愛川町の魅力を探る』
- 神奈川県 編 (1927) 『吾等の神奈川県』
- 逓信省電気局 編 (1927)『電気事業要覧. 第26回 昭和10年3月』