戦車道路の記録
探索編1 周回コース
戦車道路(旧・運行試験場)のうち、本線となる周回コースの整備区間である八王子市鑓水の町田市境より町田市下小山田の間は尾根緑道という遊歩道へと整備されました。
八王子市と町田市の市境にある小山内裏公園の入口が、運行試験場の周廻コース完工区間の始点となります。
工事が完了した小山田方面の現・尾根緑道の他、由木・鑓水方面の道すじを活用して運行試験場の延長が計画されていました。
運行試験場の道幅は、全線にわたって15~20メートルで建設される予定として土地の収用が行われました。
小山内裏公園内の尾根緑道区間も買収済みの用地をそのまま整備したと思われ、幹線道路クラスの幅員がある道路が続いています。
【小山内裏公園開園前】
旧・防衛庁による車両試験が終了した昭和40年以降、近隣で進められた多摩ニュータウン開発に伴い、この運行試験場も工事車両の通行路として使用されるようになります。
アスファルト舗装はこの頃に行われたそうですが、道幅いっぱいの舗装は行われずに道のはしは放置されるか、フェンスで仕切られていました。
時期は定かではありませんが、一定の間隔をおき道端にオレンジ色をしたビニール布製の箱状のものが設置されていました。
この頃は姿を消していますが、当初は『戦-○(数字)』という立て札がそばに立てられていました。
この津島神社は、運行試験場建設の際に移転物件の対象となっており、陸軍省文書にある補償金調書にもその名を見ることができます。
所在地 | 種別 | 単位 | 数量 | 単価 | 小計 | 摘要 |
---|---|---|---|---|---|---|
堺村小山2738 | 津島神社 甲 | 祠 | 1 | 150円 | 150円 | 木造平屋/石造鳥居/玉石積み階段付 |
燈篭 | 基 | 2 | 7円 | 14円 | 石造 | |
鳥居 | 基 | 1 | 80円 | 80円 | 石造/高さ9尺/基礎コンクリート | |
手洗 | 個 | 1 | 1円 | 1円 | 石造 |
運行試験場は何箇所かで既存の公道と立体交差をしていました。
津島下トンネルのあった場所でも運行試験場がオーバーパスをしています。
【地形図より】
昭和30年代までの地形図には、津島下トンネルがある辺りに隧道の地図記号が描かれています。
現在の津島下トンネルは南から東へカーブを描いているのに対し、当時は南北へ貫くように通じていました。
航空写真でみると、位置的にも現在のトンネルと違っており、一旦埋め戻しが行われた後に津島下トンネルが開削されたようです。
なお、地図上では隧道として描かれていますが、橋梁のようなものであった可能性があります。
この付近では、数ヶ所で運行試験場道路から一般道へと接続する分岐点があります。
多くは緑道整備時やニュータウン建設の際の作業路として開設されたものですが、運行試験場開設当時からのものも残されていました。
【未舗装路の残る戦車道路】
尾根緑道としての整備が進む前の運行試験場道路は、一部に未舗装であった区間がありました。
前述のとおり、運行試験場道路は多摩ニュータウンの開発の際、工事用車両の進入ルートとして整備されましたが、このルートから外れた区間は未舗装のまま残されました。
星谷戸トンネル上を運行試験場道路を通りますが、トンネル手前で小さなクランクになっています。
星谷戸トンネルを潜る道路は現在、町田市道(堺1083号線)となっていますが、元は都道156号線の一部でした。
都道に指定されていた頃は、運行試験場道路が跨道橋でオーバーパスをしていましたが、都道側が尾根幹線へ付け替えとなった際にこの部分を一旦埋め戻し、あらためて星谷戸トンネルを掘り直しています。
このため、トンネル西側の試験場道路がクランク状になったのでした。
【星谷戸トンネル付近の変遷】
都道156号線が現在のルートとなった後、星谷戸トンネル付近の道路敷は撤去され、新たに区画整理が行われました。
八王子市と町田市の市境は運行試験場道路上になっていましたが、星谷戸トンネルが旧ルートより町田側に作られたため、八王子側坑口付近が市境となりました。
星谷戸トンネルから先の下小山田町・図師町境までの区間は、昭和50年(1975年)に他区間より先行して町田市へ貸与・整備されました。
南多摩斎場付近で唐木田、中組方面へ向かう短絡コース、そして旧造兵廠へ向かう支線が分岐していました。
【唐木田方面分岐点の変遷】
この付近は町田市への貸与後も整備は完成しておらず、2001年当時はまだ運行試験場敷地の半分ほどがバリケードで塞がれていました。
運行試験場ルートは町田市道と沿って進みます。
試験場の敷地が市道より少々高くなっているのがわかります。
種入バス停付近で、別所方面への短絡コースと分岐する計画でした。
種入バス停付近で町田市道忠生441号線と合流し100m程で分かれてしまいますが、忠生441号線がこの付近と前後とで幅員が違うのは、運行試験場を活用したことによります。
運行試験場道路は常盤町東端、上小山田町・小山田桜台の境を進みます。
運行試験場道路は常盤町と小山田桜台を繋ぐ市道忠生630号線と交差します。
この交差部は市道がトンネルで運行試験場道路の下を潜る構造になっており、戦車道路トンネルと呼ばれています。
この戦車道路トンネルは常磐町側より小山田桜台側のほうが坑口が高くなっており、内部も常盤町から小山田桜台へと下り道となっています。
もともとこの部分は切り通しとなっており、運行試験場道路を通すためにあえて埋め立てた上でトンネルを掘っています。
トンネル上部の運行試験場道路は平坦なものとなっています。
周回コースは、下小山田町と忠生の境付近まで建設されたところで中断されました。
- 陸軍省 (1942) 『土地買収に関する件』 (陸亜密大日記 第63号)