相武電鉄資料館

東京神戸間電話ケーブルを辿る

1.長距離電話回線の発展

 明治22年(1889年)1月、東京~熱海間に架設された電話回線が日本における長距離電話線の始まりとなります。
 5月には静岡まで延伸しましたが、この回線は試験的に設けられたものであり、使用された期間もその年の12月までの71年間でした。
 明治26年(1895年)には、既に架設されていた電信線を用いた東京~静岡~大阪間で長距離電話通話の試験が行われ、実用に耐えうるものと評価されると明治31年(1901年)、東京~大坂間、東京~神戸間にそれぞれ1回線の電話回線が設けられることとなります。

 この長距離電話線の回線数は年々増設され、大正11年(1924年)3月末には下記の33回線が整備されました。

 しかし、使用された資材は架空裸線で天候により通話品質が左右されやすく、単純な往復線であったことから電話線路分しか回線を確保できませんでした。

 大正11年後半になると、電話回線に流れる電流の減衰を低減させ通話品質を高めるための装荷ケーブルや真空管中継器などが導入され、少ない回線で多数の通話を可能とする搬送電話方式が実用化されるにあたり、東京~岡山間の長距離電話回線をケーブル化する計画が立案されました。

 昭和3年(1928年)11月1日、昭和天皇即位の御大典挙行に間に合わせるように、計画区間のうち、東京~神戸間が開通し、東京、横浜、静岡、名古屋、京都、大阪、神戸の大都市間における長距離通話可能となったのです。
 装荷ケーブル技術は、昭和10年代に無装荷ケーブルによる技術が確立されるまで、多くの地方都市間における長距離市外通回線にも用いられました。


2.東京神戸間ケーブルの概要

図表:東京神戸間電話ケーブル路線図

 東京神戸間の装荷ケーブルの構成は、市内及び近距離市外回線とケーブル回線を接続する「端局」を東京、横浜、足柄(小田原)、静岡、名古屋、京都、大阪、神戸に設置するとともに、通話品質を維持するための減衰した電流を復元する中継器などの装置を収納した中継所を横浜、足柄)、江尻、豊川、亀山、大阪に設けました。
 このほか、電流の減衰を低減するための“装荷輪”を1,830mごとに添架し、場所によりこの装荷輪を収容するための施設として、ロージングタワー(装荷線輪櫓)もしくはケーブルハットが建てられます。

 このケーブル回線が架設されたことにより、前述の区間の回線が増強され、新たに横浜~静岡・名古屋・京都・名古屋、静岡~名古屋・大阪、名古屋~神戸、東京~足柄(小田原)の各区間の通話が可能となりました。


3.神奈川県内の遺構

 神奈川県内の路線のうち箱根町湯本までは、大部分は国道1号に沿って架空配線、もしくは地下埋設にて敷かれました。
 湯本から芦之湯までは、鷹巣山を経由する湯坂路を通るコースがとられています。

  1. 湯坂路ルート
  2. 県内のその他施設

〔 参考文献 〕
  • 日本電信電話公社関東電気通信局 編 (1968) 『関東電信電話百年史 中』
  • 逓信省工務局 編 (1928) 『東京神戸間電話「ケーブル」工事の概要』
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