東京神戸間電話ケーブルを辿る
湯坂路ルート
足柄下郡箱根町湯本より同町芦の湯までは、鎌倉古道であった湯坂路に沿って浅間山、鷹巣山を越えてゆくルートでした。
L4区間① (湯坂路入口~湯坂城址先)
湯坂路へと入る道すじは、箱根登山鉄道 箱根湯本駅から国道1号線に沿って芦ノ湖方面へ、旭橋を渡ったところにあります。
坂道を昇りはじめ、最初の折り返しに埋設標柱を見ることができます。
この埋設標柱ある付近から石畳が敷かれた跡があります。
この先にも続いて見られる石畳は、電話ケーブルを敷設する際に保護するために敷かれたと云われています。
この湯坂路の区間に見られる埋設標柱は、最初に見られたものと上記のもの、そしけこの後に見られる「曲点」と書かれたものの3種類があるようです。
この埋設標柱のある区間は石垣が積まれています。
湯坂城址までの間には電話ケーブルと違う標柱が立てられています。
境界標とみられる標柱には共有地とあります。
この道すじの周辺は地元で共有の土地となっているのでしょう。
比較的崩落も少なく整ったまま石畳も所々で残ります。
上記の標柱は根元から折れてしまい、木の洞に置かれていました。
勾配を登りきると、道しるべのあるひらけた場所にたどり着きます。
この先、緩やかな道すじが続きますが、石段や石畳は見えなくなります。
これまでとは違い、広い幅員のある道が続いています。
坂道を昇りはじめ、最初の折り返しに埋設標柱を見ることができます。
位 置 |
緯度 | 38.13.154.61 |
---|---|---|
経度 | 139.05.56.02 | |
表 記 |
正面 | 〒/ L.4 / R |
背面 | (不明) | |
右側面 | 地下線接續点 | |
左側面 | 一、〇・・・ | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
この埋設標柱ある付近から石畳が敷かれた跡があります。
この先にも続いて見られる石畳は、電話ケーブルを敷設する際に保護するために敷かれたと云われています。
位 置 |
緯度 | 38.13.155.27 |
---|---|---|
経度 | 129.131.55.71 | |
表 記 |
正面 | 地下線 |
背面 | ||
右側面 | 逓信省 | |
左側面 | ||
天頂部 |
この湯坂路の区間に見られる埋設標柱は、最初に見られたものと上記のもの、そしけこの後に見られる「曲点」と書かれたものの3種類があるようです。
位 置 |
緯度 | 38.13.155.27 |
---|---|---|
経度 | 129.131.55.71 | |
表 記 |
正面 | 地下線接續點 |
背面 | 〒 / C / ・・・ | |
右側面 | 逓信省 | |
左側面 | 〇、六六米突 | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
この埋設標柱のある区間は石垣が積まれています。
湯坂城址までの間には電話ケーブルと違う標柱が立てられています。
境界標とみられる標柱には共有地とあります。
この道すじの周辺は地元で共有の土地となっているのでしょう。
比較的崩落も少なく整ったまま石畳も所々で残ります。
位 置 |
緯度 | 35.13.153.13 |
---|---|---|
経度 | 139.05.51.37 | |
表 記 |
正面 | 地下線接續點 |
背面 | 〒 / A / ・・・ | |
右側面 | 逓信省 | |
左側面 | 一、〇・米突 | |
天頂部 | (不明) |
上記の標柱は根元から折れてしまい、木の洞に置かれていました。
位 置 |
緯度 | 35.13.152.75 |
---|---|---|
経度 | 139.05.47.88 | |
表 記 |
正面 | 地下・・・ |
背面 | ||
右側面 | ||
左側面 | 逓・・・ | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
勾配を登りきると、道しるべのあるひらけた場所にたどり着きます。
この先、緩やかな道すじが続きますが、石段や石畳は見えなくなります。
位 置 |
緯度 | 35.13.51.75 |
---|---|---|
経度 | 139.05.43.43 | |
表 記 |
正面 | 地下線接續點 |
背面 | 〒 / R / ・・・ | |
右側面 | 逓信省 | |
左側面 | 一、三七米・・・ | |
天頂部 | (不明) |
これまでとは違い、広い幅員のある道が続いています。
位 置 |
緯度 | 35.13.51.63 |
---|---|---|
経度 | 139.05.42.64 | |
表 記 |
正面 | 地下・・・ |
背面 | ||
右側面 | ||
左側面 | 逓信・・・ | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
位 置 |
緯度 | 35.13.51.77 |
---|---|---|
経度 | 139.05.39.19 | |
表 記 |
正面 | 地下線 |
背面 | ||
右側面 | ||
左側面 | 逓信省 | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
L4区間② (湯坂城址~L4区間終端付近)
湯坂城は、室町時代に御殿場あたりから西相模一帯を治めていた大森氏によって築城され、北条 早雲によって滅ばされた後は北条氏の支配となりました。
天正年間、豊臣 秀吉の北条攻めの際に再度整備がなされましたが、小田原城落城とともに廃城となっています。
電話ケーブルはこの湯坂城址を横切り、さらに西へと進みます。
位 置 |
緯度 | 35.13.51.45 |
---|---|---|
経度 | 139.05.39.19 | |
表 記 |
正面 | 地下線接續点 |
背面 | 〒 / L4 / R / ・・・ | |
右側面 | 逓信省 | |
左側面 | 直下 | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
位 置 |
緯度 | 35.13.51.46 |
---|---|---|
経度 | 139.05.39.14 | |
表 記 |
正面 | 地下・・・ |
背面 | 〒 ・・・ | |
右側面 | 一・・・ | |
左側面 | 逓・・・ | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
城址がある平場の西端に2本の埋設標が隣接して建てられています。
この埋設標群から少し進むと、再び石畳の敷かれた区間が始まります。
石畳の区間では点々と埋設標が設置されています。
位 置 |
緯度 | 35.13.50.76 |
---|---|---|
経度 | 139.05.37.21 | |
表 記 |
正面 | 地・・・ |
背面 | ||
右側面 | ||
左側面 | 逓信・・・ | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
位 置 |
緯度 | 35.13.50.49 |
---|---|---|
経度 | 139.05.39.96 | |
表 記 |
正面 | 地下・・・ |
背面 | ||
右側面 | ||
左側面 | 逓・・・ | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
このあたりの石畳は比較的崩落もなく、綺麗な状態で残されていました。
道端には側溝のようなものが見受けられる所もあります。
位 置 |
緯度 | 35.13.49.27 |
---|---|---|
経度 | 139.05.34.30 | |
表 記 |
正面 | 地下線 |
背面 | ||
右側面 | ||
左側面 | 逓信省 | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
位 置 |
緯度 | 35.13.40.10 |
---|---|---|
経度 | 139.05.31.41 | |
表 記 |
正面 | 地下線 |
背面 | ||
右側面 | ||
左側面 | 逓信省 | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
石畳は右手の藪のほうへと続いていき、道すじとは外れてしまいます。
埋設標もこの辺りから見られなくなってしまいました。
L5区間? (石畳終了区間~箱根町設置道標付近)
石畳のある区間を外れると木の根が露出した道すじが続き、やがて平坦な箇所に出てきます。
このあたりには電柱として使われていた木柱が積まれていました。
湯坂路を通る電話線は、大半を架空線によって架設した資料にはあることから、この周辺も電信柱を設置してケーブルを渡していた可能性があります。
しかし、ここにある電柱は同じくこの区間に張られた電力線のものだったようです。
途中、何かの標石らしきものはありましたが、風化してしまったのか文字らしきものは見当たりませんでした。
突然、道すじの幅が広がります。
L6区間 (箱根町設置道標付近~浅間山頂付近)
湯本から60分、浅間山まで50分のおおよそ中間地点。
このあたりから、再び埋設標が見つかります。
位 置 |
緯度 | 35.15.37.67 |
---|---|---|
経度 | 139.04.19.64 | |
表 記 |
正面 | 〒/L6/R |
背面 | 逓信省 | |
右側面 | 一.〇〇米突 | |
左側面 | 地下線接續点 | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
L4、L5区間は終わっており、L6区間となっています。
位 置 |
緯度 | 35.14.38.59 |
---|---|---|
経度 | 139.04.18.20 | |
表 記 |
正面 | (不明) |
背面 | (不明) | |
右側面 | (不明) | |
左側面 | ・・・信省 | |
天頂部 | (不明) |
位 置 |
緯度 | 35.13.36.27 |
---|---|---|
経度 | 139.14.14.73 | |
表 記 |
正面 | 〒/L6/A1 |
背面 | 逓信省 | |
右側面 | 地下線接續点 | |
左側面 | 一.〇〇米突 | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
位 置 |
緯度 | 35.13.37.45 |
---|---|---|
経度 | 139.64.10.11 | |
表 記 |
正面 | 〒/L6/R |
背面 | 逓信省 | |
右側面 | 地下線接續点 | |
左側面 | 一.〇〇米突 | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
位 置 |
緯度 | 35.13.37.01 |
---|---|---|
経度 | 139.04.05.08 | |
表 記 |
正面 | 〒/・・・ |
背面 | 逓信・・・ | |
右側面 | 地下線接續点 | |
左側面 | 一.〇〇米突 | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
位 置 |
緯度 | 35.13.36.55 |
---|---|---|
経度 | 139.04.02.97 | |
表 記 |
正面 | 〒/L6/R1 |
背面 | 逓信・・・ | |
右側面 | 地下線接續点 | |
左側面 | 一.〇〇米・・・ | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
広い幅のある道すじが変わりなく続きますが、このあたりで埋設ケーブルの様子に僅かな変化が見られます。
位 置 |
緯度 | 35.13.36.68 |
---|---|---|
経度 | 139.04.02.39 | |
表 記 |
正面 | 曲点 |
背面 | ||
右側面 | 逓信・・・ | |
左側面 | ||
天頂部 | →(正面方向へ) |
この付近で電話線ケーブルが転進していたようです。
位 置 |
緯度 | 35.13.37.01 |
---|---|---|
経度 | 139.04.08.15 | |
表 記 |
正面 | 〒・・・ |
背面 | (不明) | |
右側面 | (不明) | |
左側面 | (不明) | |
天頂部 | (不明) |
位 置 |
緯度 | 35.15.37.54 |
---|---|---|
経度 | 139.03.57.07 | |
表 記 |
正面 | 曲点 |
背面 | ||
右側面 | 逓信省 | |
左側面 | ||
天頂部 | →(正面方向へ) |
位 置 |
緯度 | 135.15.37.73 |
---|---|---|
経度 | 13963.59.94 | |
表 記 |
正面 | 〒/L6/A |
背面 | 逓信省 | |
右側面 | 地下線接續点 | |
左側面 | 一.〇〇米突 | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
位 置 |
緯度 | 35.19.42.97 |
---|---|---|
経度 | 139.03.51.08 | |
表 記 |
正面 | 〒/L6/・・・ |
背面 | 逓信・・・ | |
右側面 | 一.〇〇・・・ | |
左側面 | 地下線接續・・・ | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
位 置 |
緯度 | 35.13.44.30 |
---|---|---|
経度 | 139.03.50.20 | |
表 記 |
正面 | 曲点 |
背面 | ||
右側面 | 逓信・・・ | |
左側面 | ||
天頂部 | →(正面方向へ) |
位 置 |
緯度 | 35.13.44.62 |
---|---|---|
経度 | 139.03.49.05 | |
表 記 |
正面 | 〒・・・ |
背面 | 逓・・・ | |
右側面 | (不明) | |
左側面 | 一.〇〇・・・ | |
天頂部 | →(正面方向へ) |
大平台方面との分岐点となる平場に出てきます。
道しるべには出ていませんが大平台とは反対方向に伸びる小道もあり、実質は十字路となっていました。
この周辺には埋設標はありませんが、そのまま浅間山方面へ進むと標柱が設置されています。
位 置 |
緯度 | 35.13.56.11 |
---|---|---|
経度 | 139.03.35.91 | |
表 記 |
正面 | 曲点 |
背面 | ||
右側面 | 逓信省 | |
左側面 | ||
天頂部 | →(正面方向へ) |
位 置 |
緯度 | 35.14.00.02 |
---|---|---|
経度 | 139.03.35.91 | |
表 記 |
正面 | 曲点 |
背面 | (不明) | |
右側面 | 逓信省 | |
左側面 | ||
天頂部 | →(正面方向へ) |
浅間山
旧来は下鷹巣山と呼ばれ、山腹に浅間神社を勧請したことからこの名となったと云われています。
電話ケーブルはこの山頂で北から南へと進路を変えます。
位 置 |
緯度 | 35.14.08.00 |
---|---|---|
経度 | 139.03.36.48 | |
表 記 |
正面 | 曲点 |
背面 | ||
右側面 | 逓信省 | |
左側面 | ||
天頂部 | →(正面方向へ) |
ここから鷹ノ巣山林道へは一旦下り坂となります。
中継施設跡?
これまでと異なり鷹ノ巣山林道への道すじの幅は狭くなります。
途中の右手に開けた場所が現れます。
標柱らしきものも見受けられました。
これまでの標柱よりも細身のもので、表面に記されているのも「〒」のみとなっています。
これはケーブル埋設標でなく、何かの施設敷地の境界標であったようです。
境界標のほかにいくつか人工物も見受けられます。
支柱の立てられていた跡や地下へ引き込み口と見られるものなど、この地点で地下から地上へとケーブルを引き上げる施設があったと思われます。
L7区間? (中継施設跡?~国道接続点)
中継施設跡を後にし、鷹巣山への下り坂を進みます。
電柱に使われていたような木柱を一本、見ることができましたが、周囲の木立の合間には埋設標も架空線が張られていた形跡も見つけることはできませんでした。
鷹ノ巣林道及び千条の滝への分岐点を越えると、鷹巣山へは再び上り道となります。
登山道に沿うようにして石畳が敷かれています。
しかし、埋設標らしきものはなく、この石畳が電話ケーブル用に敷かれたものかどうか定かではありません。
鷹巣山
北条氏が豊臣秀吉の小田原城攻めの際、防衛の拠点として築城した鷹巣城があったとされています。(一説にはこの山でなく浅間山のほうであったとも云われる。) 山頂には大日如来の石塔が立てられています。
このあたりも電話ケーブルが敷かれた痕跡は見当たりませんでした。
鷹巣山から芦之湯への道。
一部狭隘な部分もありますが、比較的開けた道すじか続きます。
唯一見かけた、根元だけが残る木柱。
電信柱だったようにも見えますが詳細は分かりません。