愛川町内の横須賀水道を巡る
探索編1・取水口~馬渡橋
半原系統には、大正当時から使用している設備が多く残されており、旧海軍時代の痕跡も見ることができます。
半原系統の取水口は、半原水源地より約500m上流、宮ヶ瀬ダム下流1kmの中津川右岸に設けられています。
取水口本体より200mほど下流側には門扉が設けられていますが、その独特な様式の門柱は半原水源地正門の開設当初にあったそれと同じ形状をしており、恐らくは当時のものがそのまま遣われていると思われます。
また、中に見える制水用のハンドルも開設時の写真に写っているもの同じ形状をしており、こちらも開設当初から使われ続けてきたものだったのでしょう。
取水口から水源地までの周辺には、水神を祭った石仏が多く見られます。
《周辺の標石》
取水口から約500m下流に半原水源地があります。
この水源地には9,900立方mの沈殿池が4ヶ所、設置されています。
場内にはいくつかの建物があります。
このうち、流量を計測するベンチュリーメーターが設置されているベンチュリーメーター室や事務所などは、改修は行われているものの古くより建てられたものがそのまま使用されているようです。
半原系統の開設後10年ほどで、早くも給水能力が不足となり、沈殿池周囲の壁を1mほどかさ上げする工事が行われました。
《周辺の標石》
原下地区には、横須賀水道のために掘られた煉瓦造りの隧道が2本あります。
原下の西側にある隧道は全長200mほどあり、坑口には要石もはめられています。
長手積みで組まれた隧道内を以前は通行することが出来ましたが、現在は閉鎖されています。
原下の西側隧道より東側隧道までは一部が築堤のように盛土されています。
途中で沢をわたる箇所がありますが、その部分では導水管が顔を覗かせていました。
原下地区の東側隧道は西側のものより短く、全長が100mほどです。
こちらの隧道は以前より通行が認められておらず、田代側の坑口に至る道すじも立ち入ることができません。
深沢尻には旧海軍マークの刻まれた蓋のある排気弁が設置されています。
このような旧海軍マーク入りの蓋は、愛川町内ではこの地点を含め2ヶ所しかないようです。
現在は拡幅され県道の敷地となっている愛川トンネルですが、最初は半原系統用に開削されたものでした。