相武電鉄資料館

相模原(旧市域)の神社・小祠

大野北地域

名称 所在地 備考
村富神社 中央区矢部2-7  
御嶽神社 中央区上矢部2-23  
日枝神社 中央区淵野辺本町1-36 詳細は“昔話に在る地を巡る-日枝神社に納められた稲荷様の祠”にて
皇武神社 中央区淵野辺本町4-20  
椿稲荷神社 中央区淵野辺本町1-8  
第六天社 中央区淵野辺本町3-36  
菖蒲沼弁天神社 中央区淵野辺5-10  
八阪神社 中央区東淵野辺2-9  
新田稲荷神社 中央区共和1-11  
(境内) 細戈神社 中央区共和1-11  
(境内) 今熊神社 中央区共和1-11  

村富神社

写真:村富神社
創建 寛文年間
持分 村民持




 旧来は街道沿いの小祠であったものを、上矢部新田を開発するためこの地に祀り直したものいわれています。
 上矢部新田は江戸の商人であった相模屋助右衛門が手掛けたもので、開発面積は193町9反9畝26歩(1,939,978 平方m)であったと記録されています。
 慶応3年には上矢部新田の代表者が京都の伏見稲荷を参詣し、神霊を拝領しています。
 また、文化3年に作成されたといわれる獅子頭3体が保存されています。



御嶽神社

写真:御嶽神社
創建 建久年間
祭神 日本武尊
祭礼 9月吉日
(例大祭・湯花神事)
7月吉日
(天王祭)
合祀 弁財天社・八坂神社・大六天社・蚕影神社・日枝神社
持分 村持
旧社格 村社




 一帯を支配していた矢部 義兼により「三嶽社」として勧請され、建武年間に「御嶽大権現」として再建された伝えられています。
 矢部氏の居館の鬼門を守護するものとして建てられたともいわれています。



皇武神社

写真:皇武神社
祭神 日本武尊
合祀 稲荷神社《境内》
八雲神社《境内》
静○神社《境内》
別当寺 吉祥山住善寺【町田市木曽】
旧社格 村社




 創建は定かではありませんが、景行天皇の皇子であった日本武尊が東征を行った際にこの地で聚雨にあい、沼辺に住む小野という人の家に立ち寄った際、酒を造り奉持したことに由来する伝えられています。
 このときに酒を造るために使った甕が宝物として残されているとのことです。
 
 当初は古宮(現在の淵野辺本町5丁目)の沼地の東端に御嶽大権現として鎮座していましたが、延宝年間に字嶽之内下に遷座、明治5年(1872年)に現在の皇武神社へと改称ののち、明治10年(1877年)に現在の大字淵野辺字嶽之内1026番地(現・淵野辺本町4-20)に遷座しています。



椿稲荷神社

写真:椿稲荷神社
祭神 宇迦之御魂尊
祭礼 2月初午




 この辺りは「四軒村」と呼ばれ、江戸時代中期に開墾された地域です。「四軒村」の由来は、集落内の軒数が四軒以上となっても以下となっても良くないことが起こっていたからと云われています。
 椿稲荷神社はこの「四軒村」の鎮守として建立されたもので、神木として大椿があったことが名前の元となっています。



第六天社

写真:第六天社祠
詳細 -




 この地にあった第六天神社は、南北朝時代に淵野辺を治めていた淵辺氏の守り神とされていたそうです。
 淵辺氏の屋敷はここを北辺として3町(約30,000平方メートル)ほどあったと言われ、その優勢を物語っています。
 この地には祠が収められたお堂が昭和13年(1938年)に井上瀧蔵氏により再建され、淵野辺だけでなく近隣の根岸や下矢部(両方とも現在の町田市)の人々の信仰を集め、ひと月に1度はそのお堂に集まり念仏を挙げられていたのこと。一時期は稲荷社も一緒に祭られていたそうです。

 現在、お堂は老朽化により取り壊されて、その跡には石塔が建立されています。  前を通る坂道は“第六天坂”と呼ばれています。



菖蒲沼弁天神社

写真:菖蒲沼弁天神社
祭神 菖蒲沼龍神
祭礼 不定期




 旧くは、この辺りにあった「しょうぶ沼(菖蒲沼)」のほとりに、石塔のみが祀られていたそうです。
 戦後になり小祠が建立され、現在の姿となっています。



八阪神社

写真:八阪神社
詳細 -



新田稲荷神社

写真:新田稲荷神社
祭神 稲倉魏命
祭礼 8月末日曜
合祀 今熊神社・細戈神社



細戈神社

写真:細戈神社
祭神 天照大神・武甕槌命




 旧陸軍兵器学校の校庭に祀られていましたが、終戦に伴い閉校となり新田稲荷神社境内へ移されました。



今熊神社

写真:今熊神社
祭神 建早須佐之男命




 今熊神社のある小山は「よばわり山」といい、神隠しにあった人のこの山の上で呼ぶと見つかるという言い伝えがあります。



〔 参考文献 〕
  • 相武史料刊行会 編 (1929) 『新編 相模風土記:淘綾郡 大住郡 愛甲郡 高座郡 津久井郡』
  • 河本 明 (1981) 『まちの鎮め 皇武神社誌』
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