相武電鉄上溝浅間森電車庫付属資料館
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[B] 本章10.相武電気鉄道の終焉

終章1.相武電鉄の痕は・・・


 相武電鉄が解散した後、ほとんどの建設用地は購入代金の未払いのために元の持ち主に返還されました。
 それでも、一部の用地は終戦直後ごろまでその姿を残していたそうです。

 次項で詳しくお話ししますが、昭和15年(1940年)になると相模原軍都計画が実行に移され、高座郡上溝町、大野村、大沢村のなどがその開発地域に指定されました。相武電鉄が既に路盤整備を終えていた矢部新田〜上溝間はこの軍都計画が最も進んだ地域で、路盤はいち早く整備され、550戸の住宅地や等間隔の敷かれた街路へと姿を変えてしまいます。
写真:撤去前の姥川暗渠
 それでもそのほかの区間は、終戦後から昭和30年代までその姿が残されていました。
 田名石神平から浅間森に至る区間は、田名と上溝を結ぶ最短の道として地域の人々に利用され、その長い直線の線形を活用して競技会などにも利用されたという逸話もありました。また、鳩川の川岸にあった変電所の建物も、護岸工事が行われるまでは残されていたそうです。
 しかし、戦後の食糧不足によりいつの間にか農地へと戻され、さらには昭和30年以降に進められた工場誘致施策や人口急増による急速な住宅地化により相武電鉄の跡は次第に消えてゆくこととなります。

 近年、姥川に相武電鉄の暗渠が残されていましたが取り壊され、相武電鉄そのものを示す痕跡はなくなってしまいました。
 現在では相武電鉄が鳩川を渡った場所にかかる妙現橋やその周辺の地形、上溝駅予定地であったダイエー上溝店の駐車場などに微かですが当時を思い起こすことができます。



[N] 終章2−1.その後の鉄道計画 戦前編
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