南橋本駅の配線の変遷
昭和7年11月1日 | 大河原停留場として開業 |
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昭和15年ごろ | 相模町停留場に改称 |
昭和6年4月 | 停留場から駅に昇格 |
昭和19年6月1日 | 国有化、その際に南橋本駅に改称 |
昭和30年代 | 別子建設方面に短期間、引込線が設けらえる |
昭和40年代 | 西武東横瀬駅間にセメント列車が設定される |
昭和62年4月1日 | 分割民営化により、JR東日本所属となる |
平成9年7月1日 | 貨物取扱が終了となる |
平成18年10月 | 橋上駅舎化 |
南橋本駅は開業当初、交換設備を有しない停留場として開業しましたが、後に駅に昇格しています。
当駅における列車交換や貨物列車の発着は、この駅昇格のころから始まったと考えられ、貨物列車の運用は平成8年(1996年)のセメント列車の運行終了まで続けられました。
駅構内の配線レイアウトは、その当時の物流、旅客の状況によって大きく異なっていました。
昭和20年ごろ
※ 配線図の記号の意味は「停車場配線の設計」を参照
交換設備が設けられておりホームを挟んで上下両本線1線ずつのほか、側線1線が設けられています。
上り本線、下り本線、側線とも長編成の貨物に対応するためか、現在のより線路長が長めにとられていました。
昭和30年ごろ
上下本線はホームの長さに合わせて配線を直され、現在の姿と同じような構造となりました。
側線は、従来あったもの外側に1線増線し計2線となっているほか、本屋側に構外側線が増設されています。
構外側線の先には別子建設(後の住友建設、現三井住友建設)があり、線路はここに引き込まれていたようでした。
この構外側線は使用期間が10年にも満たなかったようで、記録がほとんど残っていません。
平成元年ごろ
西武東横瀬駅にある三菱鉱業セメント(後の三菱マテリアル)との間のセメント輸送が昭和40年代後半から開始され、駅本屋反対側にあった側線の傍に包装所が建設され、最も外側の側線が荷役線(到着線兼用)となりました。
荷役側線の橋本方には短い引上げ線が設けられ、荷下ろしの際にアントがこの線に貨車を移動させていました。
ホーム側の側線は出発線として使われていたようです。
平成20年ごろ
平成9年(1997年)にセメント輸送が終了したことにより駅に隣接していた包装所も閉鎖となり、マンションなどが建設されました。
また、側線も撤去され交換機能をもつ旅客駅となります。
平成18年(2006年)に駅本屋が橋上化され現在の姿となります。