緑区若葉台の南に塔王権現社という変わった名の小祠があります。
このお社のご神体は室町時代に建てられたの宝篋印塔なのですが、もとは同じ区内の町屋地区にあったという「塔の越し」という場所に建てられていたのでした。
「塔の越し」には、その付近に昔、豪族が住んでおり、石塔はその豪族の墓石であったといわれていました。
付近の人々の信仰は厚く何かあるとこの石塔を拝んでいたそうですが、幕末のある年に疫病が流行した際、疫病退散の祈願をしても一向に疫病は収まらなかったそうです。
効き目がないのに怒った村人が、相模川に放り込んでやろうと石塔を担ぎ出しました。
が、しかし、谷ヶ原あたりでモッコの棒が折れてしまい田んぼの中に転げ落ちます。村人たちは拾い上げるのは面倒とばかり、そのままにして帰ってしまいました。
翌朝、谷ヶ原の人たちがこの石塔を見つけ、ご神体として山頂へ引き上げ祀ることにしました。
塔王権現の名は、この際にある塔の中の王ということで付けられ、石塔が祀られた山は「塔王山」と呼ばれるようになったとのことです。
以来、谷ヶ原では疫病が流行ることがなくなり、子供の熱さましに御利益があるとのことで参拝する人が大勢訪れました。
祭日の9月10日はご神体を拾い上げた日とも、「とう」にちなんで10日にしたともいわれています。
また、大きな台風があった翌年には再び風水害が起きないように大祭りを催したそうです。