相武電鉄資料館

昔話に在る地を巡る

「下馬梅」の伝説

 町田市の境にある緑区の広田地区には「下馬梅」と呼ばれる梅の木があります。

 天正18年(1590年)、全国統一を目指す豊臣 秀吉は関東最大の勢力であった北条氏を討伐に向かいます。
 現在の八王子市元八王子町には北条氏配下の八王子城があり、この城も上杉 景勝、前田 利家、真田 昌幸といった豊臣家精鋭部隊によって攻勢がかけられ落城しました。

 その際に辛くも八王子城から脱出した武者がひとり、隣接した筑井城(津久井城・相模原市緑区太井)へ戦況を伝えるために馬を走らせました。
 ようやくのことで、この川尻の地にたどり着いた騎馬武者は土地の人に戦況を尋ねると、既に津久井城も落とされたとのこと。
 武者はその知らせに落胆し、馬から下りるとムチ代わりにしていた梅の枝を地面に突き刺して、いずこともなく立ち去ったといわれています。

 その後、その梅の枝が根付き、立派に花を咲かせたことから、「下馬梅」と呼ばれるようになったそうです。


現在の下馬梅

写真:現在の下馬梅にある梅の木
 言い伝えにある梅は大正年間に枯れてしまい、現在の木はその後、新たに植樹されたものとなります。

 騎馬武者が梅の枝を突き刺した際に逆さに突き刺したといわれ、そのまま成長したので梅が逆さに咲くことから「逆さ梅」とも呼ばれていました。


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