相模湖の東側、国道413号線の嵐山洞門の近くの湖上に小島の一つ浮かんでいます。
この小島、辺りを湖水に囲まれる前は「丸山」という小山でした。
相模湖ができる前、この丸山の近くの相模川には、岩塊が突き出したようなところがあって、そこを「蛇岩」と呼んでいたそうです。
昔、その蛇岩に雌雄2匹の白蛇が現れて、夏は水浴びを、冬は日向ぼっこをしていたそうで、土地の人々はこの白蛇は弁天様の化身か使いだろうと考え、「白蛇弁天」「白岩弁天」と呼んでいました。
弁天さま自身は、この2匹の白蛇が住んでいたという“さねがさわ”というところに祀られていました。
この白蛇、人間に化けて道行く人に親切にしたり、吉野宿の遊郭に行こうとする若者に説教していたりしていたといいます。
地元には『勝瀬河原に大蛇が住もうが吉野通いは止められぬ。吉野通いを止めよとすればおいで来なよの文がくる』などと言う甚句もあったとか。
“さねがさわ”に祀られていた弁天さまは、明治40年の洪水で流出後、昭和8年に文字碑として再建され丸山の山頂に安置されましたが、相模湖が造成された際に湖畔へ移設されました。