時は平安時代の初め、都が平安京に移ったばかりのことでしょうか。
宮中に仕えていた三条貴承卿の若君「武庫郎」が八条殿の姫となさぬ仲となり、都を出奔し遠く東国へ落ち延びました。
相模の国へたどり着いた二人は、一夜の宿を借りた村人に相模川上流に雨露をしのぐことができる岩屋があることを教えてもらいます。
教えられた山中を捜し歩いた二人は手頃な岩窟を見出して、そこを住処とすることにしました。
やがて、二人は子を成し、生まれた男の子に住処の岩窟にちなんで「岩若丸」という名を与えます。
この岩若丸が7歳になったとき、父親である武庫郎は出家し名を「道志法師」と改めました。
その道志法師が托鉢のため、十日ばかり家を空けたときのこと。
突然現れた天狗に母親である八条殿の姫が攫われてしまいました。しかも、岩若丸は攫われた母親を探し回っている途中で、足を滑らせ谷底へ落ちてしまいます。
そんなことは知らぬ道志法師は托鉢から戻ってみると二人の姿が岩窟にありません、慌てて辺りを探すとすでに息絶えた息子・岩若丸を見つけます。
道志法師は嘆き悲しみ、「どうか、息子の命を助けてほしい」と天に祈りました。
するとその祈りが通じたのか、奇跡的に岩若丸は息を吹き返します。
息子が助かったものの、妻の八条殿の姫は姿を隠したまま。
道志法師は妻を捜すために諸国行脚の旅にでることにしました。
わが子には再会の証として持っていた“銀鏡”を二つに割ると一片を渡して、岩窟のことを教えてもらった村人に岩若丸の後事を託します。
成長した岩若丸は父母への思慕の念を捨てきれず、残された銀鏡を手掛かりに父母を探すため旅立ちました。
数多の苦難の末、岩若丸は父と母と巡り合うことのできたのでした。
後年、岩若丸は出家し「源海」を名乗り、生まれ育った岩窟に戻るとその地に寺を建て仏に仕え暮らしたとのことです。