相武電鉄資料館

津久井の神社・小祠

川尻地域

名称 所在地 備考
川尻八幡宮 緑区川尻(小松)4171  
(合祀)  元春日神社 緑区川尻(風間)5144 川尻八幡宮に合祀
熊野社 緑区川尻(小松)4039-イ  
金比羅宮 緑区川尻(竜籠)4456  
御嶽社 緑区川尻(雨降)5769  
弁財天 緑区川尻((穴川乙)4887  
航空神社 緑区川尻(雨降)5894-18  
水天宮 緑区川尻(向原)1119-2先 相模川小倉橋付近
小祠(川尻①) 緑区川尻(小松)4133  
山王社 緑区川尻(小野)4398-3  
天神社 緑区川尻(松風)4559-1 小松城守護
稲荷社 緑区川尻(雨降)5748  

熊野社

写真:熊野社鳥居
覆殿 191cm×284cm×286cm
祭日 現在は9月最初の日曜日に和田地区の祭神代参が行われている




 文政10年(1872年)の『地誌御捜索下調帳』には「熊野社 小松ノ和田 半之〇 与右衛門持』と記載があるそうです。
 地域の人々は「オクマンサマ」と呼んでいます。



金比羅宮

写真:金比羅宮覆殿
創建 文化元年(1804年)
祭神 大物主神(相殿)
日本武尊
崇徳上皇
祭日 4月10日・10月10日
本殿 入母屋造杮葺千鳥破風向拝付
5.0平方m
覆殿 入母屋造亜鉛葺 9.9平方m
拝殿 覆殿の半分 5.0平方m




 参道入口に店を構えていた商家の伊勢屋五代目当主 広田 善兵衛が発起し、地区の代表者他5名が讃岐国(香川県)の金比羅宮に赴き、御分霊をこの地に奉斎したのが始まりとなります。
 明治44年(1911年)に一郷一社の政令により川尻八幡神社に合祀されましたが、跡地には地元の人々により石宮と仮遥拝所を設られ、引き続き管理されてきました。
 昭和28年(1953年)4月に社殿を再建し、城山ダム開設後にダムの守護として昭和40年(1965年)5月に川尻八幡神社より分祀され現在に至ります。



御嶽社

写真:御嶽社
石宮 30cm×30cm×60cm
「明治<43年4月再建」「斉藤氏」「米山氏」の刻字あり




 飢饉のあった年に祀られたとされ。現在でも4月には米山氏の子孫がお神酒を捧げ祭っているそうです。



弁財天

写真:弁財天
詳細 不詳



航空神社

写真:航空神社
石宮 30cm×30cm×90cm




 太平洋戦争時の昭和17年(1942年)に日本陸軍所属の偵察機が、昭和18年(1943年)同じく陸軍ハヤブサがこの地の近くに墜落し、乗員が亡くなったことから、その慰霊のために地域住民によって建立されました。
 石宮の背後には、「国土安全」に記念碑が建てられています。



水天宮

写真:水天宮
石宮 22cm×22cm×55cm
「昭和二年五月吉日」の刻字あり
祭日 5月5日




 昭和初期に近隣の漁業関係者により、水南犠牲者の慰霊と安全祈願のため建立されました。



小祠(川尻①)

写真:小祠(川尻①)
詳細 不詳



山王社

写真:山王社
石祠 40cm×30cm×55cm<
「明治九年八月 下川尻中」の刻字あり




 幅380cm、奥行570cm。高さ120cmの塚の上で東向きに祠が建てられています。
 刻字などから集落の鎮守ではなく、旧・下川尻村全体で祀っていたものと考えられます。(旧来は祭りを行っていたが、現在は実施されていない)
 「下川尻村明細帳(宝永4年)」や「宝暦十年村明細帳」には『一ヶ所=山王社 下川尻村御料分 真言宗宝泉寺支配』とあります。



天神社

写真:天神社
本殿 115cm×98cm×198cm




 小松城の守護神の一つと考えられています。
 もとは城郭の一部であった宝泉寺本堂西側にありましたが、墓地造成に伴い現在の位置に移されました。



稲荷社

写真:稲荷社
詳細 不詳




 以前は御嶽社も併せて祀られていたようですが、現在は稲荷社のみが祀られているようです。



〔 参考文献 〕
  • 城山町教育委員会 (1996)『城山町小祠報告書』
  • 津久井郡広域行政組合 (1987)『津久井郡文化財・神社編』
トップに戻る