相武電鉄資料館

津久井の神社・小祠

川尻地域

元春日神社

写真:春日神社のあった丘
祭神 武甕槌命・天児屋根命比売神・経津主命
祭礼 7月29日
合祀社 御嶽社《境内》
別当寺 成田山明観寺【川尻】




春日神社の変遷

 旧・下川尻村の鎮守である春日神社は、別当寺であった明観寺の北方(川尻5237付近)にて創建され、享保元年に描かれたという「川尻村絵図」では、境川沿いの寺田村・館村(現在は共に八王子市)を結ぶ道すじの東側にこの神社を見ることができます。
 この頃の春日神社には広大な鎮守の森を有しており、その広さは対岸の相原村(現・町田市相原町)にまで日陰を作ってしまうのものであったと云われ、寛永の頃、原宿用水が開削されるあたって境川の水を利用するために春日神社の森の木を切ることが条件となりました。
 鎮守の森の伐採を機に春日神社を移すこととなり、伐採した木を売却した一部を資金としこの地へと遷座します。
 現在は平坦な畑地となり当時の面影はありませんが、“ふるみや”という地名だけがその名残りを留めています。

 春日神社は川尻村川尻字風間5138番(現在の緑区川尻字風間)に遷座し、明治42年(1909年)の合祀令により川尻八幡宮に合祀されるまでこの地にありました。
 神社のあった山は春日山と呼ばれ、その様子は新編相模国風土記稿によれば「社地高丘にて杉松茂れり」であったそうです。

写真:川尻八幡宮拝殿にある春日神社  
写真:春日神社本殿

 遷座により川尻八幡宮社殿に祀られてた春日神社本殿は、桁行4.3尺の春日造を意図したもので、建立は18世紀中頃とされています。
 一方、遷座後のこの地においても改めて春日神社が祀りなおされ、現在に至ります。

元春日神社の様子

写真:元春日神社の社殿、右は御嶽社  
写真:春日大明神の銘がある灯篭

 現在の元春日神社は小さな覆屋の中に新たな本殿が祀られており、その前には文化4年(1807年)に立てられた“春日大明神”の銘のある石灯籠が建てられています。
 春日神社の隣には、ここから西の山中にあった御嶽神社が遷されていました。

図表:昭和初期の春日神社跡地図(土地宝典より)  
写真:最初の石段前より春日神社を見上げる

 境内は2段の段丘状となっており、相模国風土記稿にあるように杉や松の木が多く見られます。




〔 参考文献 〕
  • 城山町教育委員会 (1996)『城山町小祠報告書』
  • 相武史料刊行会 編 (1929) 『新編 相模風土記:淘綾郡 大住郡 愛甲郡 高座郡 津久井郡』
  • 大日本帝国市町村地図刊行会 編 (1929)『土地宝典 津久井郡川尻村 地番反別入地図』
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