大沢地域の神社・小祠
名称 | 所在地 | 備考 | |
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諏訪明神(諏訪神社) | 緑区大島594 | 式内社・石楯尾社 論社 詳細は“昔話に在る地を巡る-魔性と契った禰宜の娘の話”にて |
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日々神社 | 緑区大島2250 | ||
稲荷林稲荷神社 | 緑区大島893 | ||
榎戸稲荷神社 | 緑区大島2946 | ||
坂上稲荷神社 | 緑区大島2966 | ||
稲荷神社 | 緑区大島2538 | ||
稲荷神社 | 緑区大島806 | ||
ホクラ稲荷神社 | 緑区大島330 | ||
カミクボ稲荷神社(跡) | 緑区大島3169 | 廃社か | |
稲荷神社 | 緑区大島440 | ||
照天神社 | 緑区大島5638 | ||
小社(大島①) | 緑区大島3463 | ||
小祠(大島①) | 緑区大島733 | ||
御嶽神社 | 緑区下九沢1336 | ||
合祀 | 日枝神社(跡) | 緑区下九沢1316 | 塚場自治会敷地内 |
日枝神社 | 緑区下九沢455 | ||
稲荷神社 | 緑区下九沢7756 | ||
日之森神社 | 緑区下九沢2351 | ||
疱瘡稲荷神社 | 緑区下九沢1398 | ||
小社(下九沢①) | 緑区下九沢1370 |
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創建 | 安永2年(1773年) |
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久保ノ前と上久保の人々が家内安全と五穀豊穣を願い、建立したのが始まりとされています。
初午には、上溝の亀が池八幡宮の神主を迎え、祭礼が行われていました。
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当初は地元の大貫氏の屋敷神でしたが、後にこの稲荷を中心とした講が作られました。
以前は県道48号線沿いにありましたが、道路拡張の際に当地に遷座しています。
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ホクラは漢字では「祠」と書きます。
当初は個人宅で祀っていましたが、明治中頃に地域でこの社を中心とした講が作られました。
当時は17~8軒が加入していましたが、現在は個人へ戻されているそうです。
大正時代のころには、『イチッコ』と呼ばれる人が根小屋(相模原市緑区)より赴き、祭りを行っていた言われています。
白い神主の様な衣装を纏っていたそうで、詳細は不明ですが神楽一座のひとりであった伝えられています。
境内には以前、大きな杉の木があり、遠く大山まで見わたせたそうです。
上久保にあった講中のうち、2つの支部により祀られていた言われています。(1990年ごろには8軒が加入)
社と鳥居の他、小さな境内林を有していましたが、平成25年ごろに社が撤去され、その後、廿日夜塔のみが残されていましたが、宅地開発に伴いそれもいずこかに遷されています。
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祭神 | 大山咋神・大巳貫神 |
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別当寺 | 金泉寺【下九沢】 |
塚場地区の鎮守として現在の塚場自治会館あたりにありましたが、昭和41年(1908年)に御嶽神社境内へ遷座しました。
創建 | 不明 |
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祭神 | 大山咋神 |
祭日 | 4月7日 |
合祀社 | 蚕影神社《本殿》 秋葉神社《本殿》 第六天社《境内》 |
旧持分等 | ? |
作の口地区の鎮守で“山王さま”の名で親しまれています。
明治時代の一時期、御嶽神社へ合祀されていましたが、不吉な出来事が続いたために元の場所に戻されました。
現在の社殿は、国道129号線作の口陸橋建設の遷座の際に建てられたものです。
鳥居の側には石仏が置かれた一画があり、その中には宝暦8年(1758年)建立の供養塔も見受けられます。
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