相武電鉄上溝浅間森電車庫付属資料館
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写真:大山街道道標(相模原市) 神奈中が手掛けたトロリーバス計画 ‐平塚から大山へ‐


江戸時代より続く大山参詣

 丹沢山系の一端をなす大山は、別名“阿夫利山”とも呼ばれ、神奈川県の西部、伊勢原市と厚木市、秦野市跨るようなに位置あります。
 江戸時代より山岳信仰の名所として知られていて、各地にはこの大山へ参拝する人たちの集まりである講(大山講)が組織され、数多くの人々が山中にある阿夫利神社を目指しました。現在でも、阿夫利神社を参拝する人や丹沢山系を縦走する人が絶えることなく、休日のバス車内はさながら通勤ラッシュを思わせるような混雑振りとなっています。
 この大山を目指すためさまざまなルートの街道があり、国道246号線の一部や相武電鉄線・上溝〜愛川田代間に沿って走る県道上溝愛川線などは、かつて「大山街道」と呼ばれていました。


相陽鉄道計画と初代大山ケーブルカーの開業

 大山方面への鉄道が計画されたのは、大正時代前半の頃でした。
 江戸時代の勢いは衰えていたとはいえ、大山参詣はまだまだ健在で、大正年間でも年間50万人近くの人が訪れていたと言う記録もあったそうです。
 大正8年(1919年)、相陽鉄道が厚木〜伊勢原間と平塚〜大山間の鉄道敷設免許を取得します。他にも大山〜伊勢原間や厚木〜平塚間などの類似した鉄道路線も計画されていましたが、最終的に相陽鉄道へと一本化されました。

 さて、この相陽鉄道ですが、大正13年(1924年)に神中鉄道(のちの相模鉄道)に保有する敷設免許の全て(厚木〜伊勢原、平塚〜大山両区間)を譲渡してしまいます。
 神中鉄道はこの頃、厚木(JR相模線厚木駅傍、現在は側線のみ)〜二俣川間の第1期工事を進めていました。もともと大山参詣客の輸送も目論んでいた神中鉄道でしたので、相模川を渡り厚木市街、伊勢原方面へ向う布石として、この区間の免許を手に入れたいところだったようです。
 この後、大正15年(1926年)5月には厚木〜二俣川間が開業し、北保土ヶ谷(現・星川)、平沼橋、西横浜と少しずつ路線を延ばしていき、昭和8年(1934年)12月に横浜までたどり着くことができました。
 一方、厚木から西側 相陽鉄道から譲渡された免許区間は、なかなか着工することができませんでした。度々、この区間の工事竣功期間延長の願いが鉄道省に提出されていましたが、昭和8年(1934年)12月、敷設免許取り消しの裁定が下されています。当初の計画区間の開業にも資金難から困難を極めていたほどですから、相模川を越えるために必要な莫大な費用を投資することはできなかったのでしょう。

 大山の山中を通る登山鉄道は、昭和2年(1928年)に大山鋼索鉄道が追分と山頂を結ぶ路線として計画しました。
 このうち、現在の大山ケーブルカーとほぼ同じ区間を通る追分〜下社間が昭和6年(1932年)に営業を開始しています。一方、下社から山頂に至る区間は工事がなかなか進まず、昭和12年(1936年)に免許取消の処置がとられています。
 やっと開通した大山の鉄道でしたが、第2次世界大戦の戦火が激しくなる昭和19年(1944年)、不要不急路線に指定された大山鋼索鉄道は廃止されてしまうのでした。


トロリーバスで大山へ

 戦後、伊勢原や平塚、厚木周辺の鉄道・バス事業は、東急から分離独立した新生・小田急電鉄とその傘下となった神奈川中央交通(神奈中)がそのエリアとなります。
 小田急にとって、沿線地域の観光開発は鉄道事業を支えるものとして重視され、箱根、江ノ島などとともに丹沢大山地域もその対象となっていました。

 戦後の大山での鉄道計画は、昭和26年(1951年)大山観光電鉄により戦前休止された大山鋼索鉄道を踏襲する、追分〜下社間がその始まりとなりました。
 昭和30年代になると、前にあげた大山観光線に接続し、さらに大山へのアクセスを向上しようという動きが高まります。このときに計画されたのが、大山新玉橋(大山駅バス停附近)〜大山雲井橋(追分)間を結ぶロープウェイの大山登山鉄道、そして神奈川中央交通による平塚〜大山間のトロリーバスでした。
地図:昭和30年代の大山に計画された鉄道予定線
神奈中トロリーバス計画概要
起点 神奈川県平塚市平塚新宿1521番地先
終点 神奈川県中郡伊勢原町大山292番地1先
経由地 豊田(豊田本郷)・岡崎・伊勢原(伊勢原駅)・高部屋
延長 15.1Km
建設費 158,000,000円

写真:トロリーバス終点予定地近くにある「大山駅」バス停
 トロリーバスは無軌条電車とも呼ばれ、上空に張られた架線よりバスの屋根上に装備した集電用ポールを使い電気を取り入れ、それを動力として走るバスのことです。
 法令上、鉄道(軌道線)として分類され、計画当時は敷設に許可(特許)が必要でした。日本国内では、昭和27年(1952年)に川崎市で初めて都市部に導入されたのを皮切りに、横浜市、東京都などでも運行されていました。

 昭和31年(1956年)12月に特許申請されたトロリーバスは、平塚駅北側を出発すると県道平塚伊勢原線を通り、豊田本郷駅バス停附近を経て伊勢原駅西側で小田急小田原線を越え、県道大山上粕屋線(現在の県道坂戸大山線、申請では県道伊勢原大山線となっている)に入り、現在の大山駅バス停留所に至る予定でした。
 大山観光だけでなく、開発の進む伊勢原〜平塚間の交通のアクセスを向上させるものとして期待され、神奈中としても利益率9.5%と採算性があるものと計算していました。

 しかし、県道大山上粕屋線が未舗装であったこと、舗装されていた県道平塚伊勢原線も改修の必要性があったことから神奈川県が難色を示し、昭和33年(1958年)7月に申請が取り下げられます。
 結局、大山登山鉄道も昭和36年(1961年)に免許申請が取り下げられてしまい、大山観光電鉄のケーブルカー計画のみが残されるかたちとなりました。


写真:平塚駅北口を発車する神奈中バス 平塚〜大山、現在の姿

 大山観光電鉄のケーブルカーは昭和40年(1965年)7月に開業を果たし、現在の姿となっています。
 平塚駅北口より伊勢原駅南口までは、経由地の異なる路線が多数あり便数も多く設定されています。ちなみにトロリーバスが走る予定だった経路には平94系統が設定されています。伊勢原駅北口より大山方面に向う路線は、ケーブルカー乗り場のある大山ケーブル駅(旧・追分駅)から550mほど下った大山ケーブルまで延びており、伊10系統が1時間3往復の間隔で運行されています。
 どちらの区間も全区間にわたって利用者は多く、もしもトロリーバスができていたとしたら、利便性はずいぶんと高かったのではないのでしょうか。
〔 参考文献 〕
 ・ 運輸省鉄道監督局民営鉄道部監理課 (1957-1958) 『特許・神奈川中央交通・昭和32〜33年』

----.--.-- 初示 / 2011.07.11 改訂


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