大阪窯業専用鉄道浅川線 (東洋化成工業専用鉄道)(廃止)
起点 | 八王子駅北野分岐点 | |
---|---|---|
終点 | 東京府南多摩郡由井村西長沼 | |
距離 | 1.7km | |
軌間 | 1.067m | |
動力 | 蒸気 | |
経歴 | 明治31年11月1日 | 横浜鉄道が北野聯絡所~由井村西長沼間(八王子煉瓦製造工場)の鉄道敷設免許を取得 |
明治39年9月 | 八王子煉瓦製造が関東煉瓦に買収される | |
明治41年7月23日 | 横浜鉄道が関東煉瓦に鉄道敷設免許を譲渡 | |
明治45年2月 | 大阪窯業が関東煉瓦を吸収合併、専用鉄道も大阪窯業所有となる | |
大正元年8月 | 北野聯絡所廃止 | |
大正14年 | 玉南電気鉄道敷設工事に伴い同電鉄の交差部に乗越橋を架橋 | |
昭和9年6月 | 八王子駅拡張により分岐点が駅構内となり、運転方法が変更 | |
昭和9年10月 | 大阪窯業工場を閉鎖 | |
昭和12年5月 | 1k0456m分岐点~大阪窯業工場間(延長700m)を廃止 | |
昭和12年6月23日 | 東洋化成工業へ専用線等を2万8千円にて譲渡 | |
昭和13年4月20日 | 廃止届を提出 |
東京府南多摩郡由井村長沼では、明治30年2月に八王子煉瓦製造株式会社により煉瓦の製造が開始されました。
その1年後、横浜鉄道により煉瓦工場と省電八王子駅を結ぶ専用鉄道が計画されます。この路線が、後の大阪窯業専用鉄道浅川線(東洋化学工業専用鉄道)となります。
実際の開通時期は定かではありませんが、横浜鉄道(現在の横浜線)が開通時には既に運用を開始していたと考えられます。
八王子煉瓦製造は明治39年9月に関東煉瓦株式会社に買収され、由井村にあった工場は同社の長沼工場となりました。
横浜鉄道によって計画されていた煉瓦工場までの専用線の免許は関東煉瓦に譲渡され、関東煉瓦の所属となります。
ただし、貨車自体は所有していたものの、列車の運行自体は関東煉瓦が行っていなかったようで、運行管理を横浜鉄道もしくは鉄道省に委託したようです。
明治45年、関東煉瓦が大阪窯業株式会社に吸収合併され同社の八王子工場となり、専用鉄道線も大阪窯業専用鉄道となりました。
八王子工場では大正年間、建材用煉瓦を製造していましたが、大正12年の関東大震災で煉瓦の耐震性が疑問視されコンクリート製の建物の建設が進むとともに需要が低下し、舗装用の煉瓦に転換することとなります。
昭和7年、火災により設備が焼失すると八王子工場の継続を断念、現在の埼玉県草加市にあった東京工場に統合されることとなり、昭和9年に閉鎖されました。
大阪窯業八王子工場が閉鎖後、駒込にあった耐火材、ベークライトの製造を行う東洋化成工業株式会社(後に不動化学工業)がこの地に新工場の建設を企図し、専用鉄道線などを2万8千円で買収します。
しかし、その後に新工場予定地を大田区西六郷へと変更となったため、廃止の措置がとられました。
現在では工場跡地も含め当時の名残はなく、京王電鉄線との交差部に残る橋台跡に面影を留めるのみとなっています。
〔 参考文献 〕
- 鉄道省文書・東洋化成工業(元大阪窯業)・昭和二年~昭和十三年