相模線小話
相模線に関する小話をいくつか。
停車中に使用できなかった便所
非電化のころに運行されていたキハ35形には車両後部に便所が設置されていました。
この便所の入り口には「停車中は使用しないでください」と書かれたステッカーが貼られていたのです。
これは、キハ35形に設置された便所には汚水タンクが設置されておらず、排せつ物がそのまま車外に放出される小僧となっていました。
このため、停車中に使用すると排せつ物が一定の場所に放置されることとなるので、使用しないように警告文が貼られていたのでした。
開業当初からの橋桁 (相模原市・番田駅~上溝駅)
番田駅から上溝駅に至る勾配区間にあるいくつかの渠溝には、『昭和五年 株式会社横河橋梁製作所 製作』の銘板をもつ橋桁が掛かります。
横河橋梁製作所は現在の株式会社横河ブリッジであり、当時の鉄道省から橋桁製作工場の指定を受けた鉄道用橋桁では名門の一社でした。
茅ヶ崎~厚木間に引き続き、昭和6年(1931年)に厚木~橋本間が開通したころより長く使われている橋桁です。
北茅ケ崎駅にあった通標受器
スタフ(通標)閉塞式は、定められた区間を走行する列車は、必ず特定のスタフを所持していなければ運行できない仕組みのことで、以前は単線路線で専ら使用されれていた閉塞方式でした。
相模線も非電化のころにはスタフ閉塞方式で運行されおり、行き違い可能な駅ではスタフの受け渡し風景が見られていました。
スタフ交換駅を列車が通過する場合、ホーム端に設置された通標受器へ現在の区間のスタフを引っかけ、反対側のホーム端にある通標授器から次の区間のスタフを受け取ることになります。
北茅ケ崎駅にも通標受器がありましたが、何故かホームの真ん中に設置されているものでした。
どのような用途であったのか不明です。