川寒川側線
川寒川側線は、大正10年(1921年)の相模鉄道・茅ヶ崎~寒川間開業と同時に敷設されていた構外側線扱いの路線で、相模川から採れる砂利の輸送を主な業務としていた路線でした。
当時、相模鉄道の収入の大部分が相模川から採れる砂利の運搬でした。採れた砂利は主に建築資材用として、東京方面に輸送されていたようです。
しかし、昭和に入ると寒川周辺の砂利の採取量も減少したことから、川寒川側線よりの砂利輸送も姿を消し、昭和6年(1931年)11月1日(7日付け公告)で廃止となりました。
川寒川側線は、大正10年(1921年)の相模鉄道・茅ヶ崎~寒川間開業と同時に敷設されていた構外側線扱いの路線で、相模川から採れる砂利の輸送を主な業務としていた路線でした。
当時、相模鉄道の収入の大部分が相模川から採れる砂利の運搬でした。採れた砂利は主に建築資材用として、東京方面に輸送されていたようです。
しかし、昭和に入ると寒川周辺の砂利の採取量も減少したことから、川寒川側線よりの砂利輸送も姿を消し、昭和6年(1931年)11月1日(7日付け公告)で廃止となりました。