お召しホームのあった原町田駅
昭和年間の横浜線原町田駅のお召し列車発着状況
横浜線におけるお召し列車の運行は、陸軍士官学校が移転してきた昭和12年から終戦前年の昭和19年の8年間に8回実施されました。
日付 | 発駅 | 経由 | 着駅 | 目的 | 備考 | ||
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駅名 | 時刻 | 駅名 | 時刻 | ||||
昭和12年12月20日 | 原宿 | 9:47 | 山手-中央-横浜 | 原町田 | 11:15 | 陸軍士官学校卒業式出席 | |
原町田 | 14:33 | 横浜-中央-山手 | 原宿 | 16:00 | |||
昭和14年3月14日 | 原宿 | 10:15 | 山手-中央 | 東浅川(仮) | 11:15 | 多摩御陵参拝 | |
東浅川(仮) | 12:30 | 中央-横浜 | 原町田 | 13:05 | 臨時東京第三病院慰問 | ||
原町田 | 14:36 | 横浜-中央-山手 | 原宿 | 16:00 | |||
昭和14年9月7日 | 原宿 | 9:00 | 山手-中央-横浜 | 原町田 | 10:25 | 陸軍士官学校卒業式出席 | |
原町田 | 14:45 | 横浜-中央-山手 | 原宿 | 16:10 | |||
昭和15年2月27日 | 原宿 | 9:20 | 山手-中央-横浜 | 原町田 | 10:35 | 陸軍士官学校卒業式出席 | |
原町田 | 14:32 | 横浜-中央-山手 | 原宿 | 15:55 | |||
昭和15年9月4日 | 原宿 | 9:10 | 山手-中央-横浜 | 原町田 | 10:35 | 陸軍士官学校卒業式出席 | |
原町田 | 14:40 | 横浜-中央-山手 | 原宿 | 16:05 | |||
昭和16年7月18日 | 原宿 | 10:35 | 山手-中央-横浜 | 原町田 | 12:00 | 陸軍士官学校卒業式出席 | C51-239 →原宿-八王子 C51-236 →八王子-町田 |
原町田 | 14:25 | 横浜-中央-山手 | 原宿 | 15:50 | C51-236 →八王子-原宿 C51-239 →町田-八王子 |
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昭和17年12月17日 | 原宿 | 9:15 | 山手-中央-横浜 | 原町田 | 10:40 | 陸軍士官学校卒業式出席 | C51-239 →原宿-八王子 C51-236 →八王子-町田 |
原町田 | 14:20 | 横浜-中央-山手 | 原宿 | 15:45 | C51-236 →八王子-原宿 C51-239 →町田-八王子 |
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昭和19年4月20日 | 原宿 | 9:15 | 山手-中央-横浜 | 原町田 | 10:40 | 陸軍士官学校卒業式出席 | |
原町田 | 14:20 | 横浜-中央-山手 | 原宿 | 15:45 |
使用された編成は1号編成といわれる、1号御料車に6両の供奉車6輌を連結した7両編成のものが使われたようです。
お召し列車の運行目的は昭和14年3月の臨時東京第三病院訪問を除き、全てが陸軍士官学校で行われた卒業式及び閲兵式となり、いずれも原町田駅(現在の町田駅)が利用されました。
お召しホームの開設
昭和12年12月に初めて行われた天皇行幸に際して、原町田駅前から陸軍士官学校までの府中道(現・都県道51号線)の改良が地元の人々の勤労奉仕も受けつつ急ピッチで行われます。
一方で原町田駅には昭和17年までは専用のホームは設置されず、一般旅客ホームが使用されていました。
駅本屋側ホームが昭和12年以降で延長された形跡があり、長編成であったお召し列車が発着できるよう整備されたと考えられます。
昭和18年~19年頃に理由は不明ですが急遽、皇族用ホームが開設されます。
場所は横浜線を渡らず人家も密集していない町田駅の南側で、貴賓室などのいくつかの建物と生垣に囲まれた駅前広場も併せて整備されます。
お召し列車は八王子方面へ発着することを原則としていたようで、八王子方面の分岐器を少なくし曲線も緩やかになあるように皇室用ホームから本線との分岐器までの距離も長めに敷設されました。
〔 参考文献 〕
- 日本鉄道旅行地図帳編集部/原武史 (2016) 『昭和天皇 御召列車全記録』