菊名鶴見連絡線(計画)
大正年間に横浜線と東海道線の鶴見方面を直接接続し、横浜線を通過する貨物を新鶴見操車場にて取り扱うための「菊名鶴見連絡線」を新設する計画がありました。
菊名鶴見連絡線の経路
菊名の名称が入っていますが計画された時期には大口駅が開業しておらず、実際は大口駅の東神奈川方で分岐し鶴見駅の横浜方面手前で合流することとなっていました。
(計画図においては、連絡線の延長は約1kmとなっていますが分岐点の位置と齟齬があるため正しい経路は不明です。)
当時の横浜線の貨物輸送量について
昭和3年における一日の平均貨物車両の通過台数は、下り(八王子方面)191輌、上り(東神奈川方面)190輌となっており、合計400輌近い貨物車が往来していたこととなります。
各貨物車の発着駅別での台数を見ると次の通りとなります。
出発 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
菊名長津田間 | 原町田 | 淵野辺相原間 | 浅川以西 | 八王子 | 立川・社線 | 合計 | ||
行先 | 品川以遠 | 1 | 2 | 3 | ||||
川崎 臨港支線 |
1 | 1 | 16 | 3 | 69 | 90 | ||
鶴見 | 1 | 1 | ||||||
入江 | 1 | 2 | 3 | |||||
千若 | 2 | 1 | 1 | 4 | ||||
高島 | 1 | 1 | 1 | 11 | 4 | 18 | ||
東横浜 | 5 | 2 | 1 | 8 | ||||
横浜港 | 2 | 2 | ||||||
東高島 | 1 | 1 | 12 | 1 | 2 | 17 | ||
海神奈川 | 2 | 1 | 1 | 4 | ||||
東神奈川 | 7 | 1 | 1 | 19 | 28 | |||
程ヶ谷 | 2 | 1 | 1 | 1 | 7 | 1 | 13 | |
計 | 12 | 6 | 3 | 55 | 40 | 75 | 191 |
出発 | ||||||||||||||
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品川以遠 | 川崎 支線 |
鶴見 | 入江 | 千若 | 高島 | 東横浜 | 東高島 | 海神奈川 | 東神奈川 | 程ヶ谷以西 | 菊名長津田間 | 合計 | ||
行先 | 菊名 長津田間 |
1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 3 | 3 | 1 | 13 | ||||
原町田 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 5 | ||||||||
淵野辺 相原 間 |
1 | 2 | 3 | 1 | 7 | |||||||||
浅川以西 | 5 | 1 | 1 | 1 | 9 | 14 | 3 | 4 | 4 | 6 | 1 | 49 | ||
八王子 | 1 | 3 | 2 | 2 | 5 | 19 | 2 | 1 | 35 | |||||
立川 社線 |
72 | 1 | 1 | 1 | 2 | 77 | ||||||||
国立以東 | 1 | 1 | 1 | 1 | 4 | |||||||||
計 | 1 | 79 | 2 | 1 | 1 | 15 | 17 | 11 | 19 | 30 | 12 | 4 | 190 |
上記の通過貨車両数にある通り、中央本線や連絡する会社線と東海道線や臨港線を発着する貨物が多く入線しており、現状では東神奈川駅での入替え作業を必要としてました。
特に、鶴見及び周辺臨港線を発し青梅鉄道(JR青梅線)方面へ向けた石炭、青梅鉄道沿線から川崎方面へと運ばれる石灰原石は突出しています。
また、横浜線本線方面から海神奈川駅、高島駅方面へ向かう場合は国道1号線を横断することとなり、自動車交通の阻害も問題となっていました。
そこで新鶴見操車場に横浜線貨物列車を集約し、整理を行うことが検討されたのです。
この連絡線が計画された大正期は川崎~立川間を結び南武鉄道は開業しておらず、全通時期の見通しもたっていませんでしたが順次、南武鉄道線が延伸開通するにつれ、計画必要性が薄れてきました。
また、鶴見操車場を経由して高島、海神奈川方面へ向かうこととなった場合、配線変更が必要となり、また、運転距離も伸びることから運賃が割高になるケースも生じます。
このため、この連絡線計画は実現をみることはありませんでした。
〔 参考文献 〕
- 鉄道省運輸局 (1929) 『鉄道省運輸局業務資料5』