相武電鉄資料館

橋本車両センター側線

図表:橋本車両センター側線周辺図

 この路線の正式名称は定かではありませんが、JR横浜線橋本から橋本車両センターを結んでいた1kmにも満たない路線です。現在、センター跡には橋本郵便局が建ち、線路跡は駐車場や歩道となっています。


大山街道踏切

写真:大山道踏切付近  上の写真の反対側を望みます。
 上り線の脇の信号設備などが設置されている部分に線路が引かれていました。


横浜線本線との分岐点

写真:本線との分岐付近  先程の踏み切りから100M程行ったところで、本線と分かれます。

写真:駐車場となった路線跡  この付近は、駐車場や京王不動産の事務所となっています。
 (もしかすると、写真よりもう少し右寄りに線路が通っていたかもしれません。)


国道16号と交差地点

写真:国道16号線との交差地点付近  確か、立体交差の橋脚の向こう(プレハブ小屋のあたり)に線路は通っていたはずです。
 (そうすると、やっぱり上の写真はポイントがずれているのかな・・・。)

 それにしても国道16号線は、よくよく廃線との平面交差が多いですね。


橋本車両センター車両進入口付近

写真:ショッピングモール付近  線路は16号線を越えて、ショッピングモールの前を通ります。現在、線路跡はほぼそのまま花壇になっています。
 ちなみにこのショッピングモール、以前はダイエー、元は忠実屋でした。忠実屋がオープンした頃は線路がまだ残されていて、真新しい建物の前に錆びたレールが延びている光景は、今でも懐かしく思い浮かびます。

写真:橋本郵便局前  橋本車両センターの車両進入口です。橋本郵便局の入り口付近がまさそうです。
 入るとすぐにポイントが設置されていたを、なぜか覚えています。


橋本車両センター跡地

写真:橋本車両センター跡地  線路の一部は後方にある大和製缶まで伸びていました。
 長く空き地として放置されていましたが、橋本郵便局が建てられたのを皮切りに再開発が進められ、急速に変化しようとしています。




【橋本車両センターについて】
 橋本車両センターは年代は不明ですが戦前、自動車関連の工場として発足しました。現在でも同工場で製作されたバスが残されています。そのバスは地元の神奈川中央交通株式会社の木炭バス「三太号」と言い、現在も同社厚木営業所(神奈川県厚木市)に保存されているとのことです。
 1945年(昭和20年)、橋本自動車工機部として国鉄の中に組み込まれ、戦後も自動車関係の修繕整備等を行っていたようです。その後、1973年(昭和48年)には橋本車両センターと改称し、主にディーゼル車両のエンジンの分解整備をその業務としていました。この工場では車両自体の検修は行わず、部品のみを工場に持ち込んで作業を行っていたようです。
 実際に廃止となったのは、1989年(昭和59年)でしたが、その2~3年前から工場としての機能は失っていたように記憶しています。
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