海神奈川支線(廃線)
区間 | 東神奈川~海神奈川 |
---|---|
距離 | 2.0Km |
駅数 | 2 |
単複 | 単線 |
電化 | 非電化 |
開業 | 明治44年(1911年)12月10日 |
廃止 | 昭和34年(1959年)4月1日 |
横浜線海神奈川支線は本線が開業してから3年後に開通した臨港貨物線です。
横浜線(横浜鉄道)は、もともと生糸の生産地である八王子周辺と輸出港のある横浜を結ぶ陸浜連絡鉄道の意味合いが濃く、港まで直接乗り入れるこのような路線が必要とされました。
しかし実際のところ、埠頭に直接乗り入れることができず生糸の輸送量はそれほではありませんでした。
戦後は海神奈川駅周辺が進駐軍に接収されため、海神奈川支線も米軍関連の貨物輸送に使用されたようです。
東神奈川駅
海神奈川支線の起点となる東神奈川駅です。
実際は駅構内からでなく、現在の電留線のある辺りから支線が分岐していました。
駅の東側には線路が通っていた跡地が空き地として残っています。
京急電鉄線交差付近
海神奈川支線は京浜急行仲木戸駅をくぐり、海に向かっています。仲木戸駅はその後拡張されたため見にくいですが、コンクリート製の橋脚の奥にレンガ積みの橋脚を見ることができます。
このガードは橋脚で分かれていますが、右側を海神奈川支線と別にもう一本、東高島貨物駅へ向かう路線が通っており、左側のスペースは東神奈川1丁目辺りにあった倉庫へ引き込み線が通っていました。
橋梁には「国鉄貨物線跨線路橋」と書かれています。
このガードは橋脚で分かれていますが、右側を海神奈川支線と別にもう一本、東高島貨物駅へ向かう路線が通っており、左側のスペースは東神奈川1丁目辺りにあった倉庫へ引き込み線が通っていました。
橋梁には「国鉄貨物線跨線路橋」と書かれています。
国道1号線交差付近
京急線を越えた支線は国道15号線(第一京浜)をわたります。
この国道15号線には、生麦と横浜駅を結んでいた横浜市電が走っており、国道上で平面交差していました。
交差部のレールは、海神奈川支線のほうに切れ目が入っておらず、横浜市電車が海神奈川支線のレールを乗り越えるようにして走っていたそうです。
この国道15号線には、生麦と横浜駅を結んでいた横浜市電が走っており、国道上で平面交差していました。
交差部のレールは、海神奈川支線のほうに切れ目が入っておらず、横浜市電車が海神奈川支線のレールを乗り越えるようにして走っていたそうです。
海神奈川駅(2代目)
現在は横浜市水道局の下水処理場となっていた場所が、大正4年から廃線までの間、海神奈川駅のあった場所です。
駅の手前から現在の水処理センター方面へ引き込み線が敷かれていました。
この付近は開業当初、横浜倉庫の倉庫群が立ち並び貨物の搬入出が行われていました。
戦後は米軍に接収され、昭和49年までモータープールなどの横浜ノースドックの施設として使用されています。
駅の手前から現在の水処理センター方面へ引き込み線が敷かれていました。
この付近は開業当初、横浜倉庫の倉庫群が立ち並び貨物の搬入出が行われていました。
戦後は米軍に接収され、昭和49年までモータープールなどの横浜ノースドックの施設として使用されています。
東海道貨物線との交差付近
神奈川水再生センター(2代目海神奈川駅)の水路端には、近年まで橋台の跡が残されていました。
大正4年までは、ここから水路を渡り千若2丁目まで海神奈川支線は延長されていました。
運河を渡った海神奈川支線は東海道貨物線と平面交差をしていました。
大正4年までは、ここから水路を渡り千若2丁目まで海神奈川支線は延長されていました。
運河を渡った海神奈川支線は東海道貨物線と平面交差をしていました。
海神奈川駅(初代)
現在、瑞穂ふ頭への引き込み線がひかれている部分に初代の海神奈川駅がありました。
ふ頭上にあった瑞穂駅(現在は廃止)は海神奈川駅が移転した後に開業しています。
ふ頭上にあった瑞穂駅(現在は廃止)は海神奈川駅が移転した後に開業しています。