相武電鉄上溝浅間森電車庫付属資料館
[W] 館内のご案内

[M] 資料館入口[C] 相武沿線展示室[I] 東京都 武州草戸峠を越えたもの

[B] 歴史編

武州草戸峠を越えたもの 〜 浅川口大山道支道と国際通信線路


 町田市相原町大戸より草戸峠を越えて八王子市南浅川町榎窪まで古道に沿って歩きました。



 町田市相原町 大戸地区と相模原市緑区川尻 雨降地区
 浅川口大山街道の本道と草戸峠を越える支道とは、町田市相原町大戸にある「大戸の晩鐘」で知られる観音堂前から分かれます。
写真:大戸観音堂  写真:大戸観音堂のはしにある大正時代の道標
 観音堂の東にある細い道 (左の写真では右手の道) が昔の町田街道、つまり浅川口大山道にあたり。高尾からやってきた街道はこの先で分岐し、町田街道は東へ大山街道は南へと進みます。
 ちなみに町田街道は大戸往還とも呼ばれ、古くは鎌倉街道山之道であったと伝えられています。
 こにには大正時代の道標が建てられており、『北 浅川驛 高尾山 方面』『東 相原驛 橋本 小山 方面』と町田街道の経由地とあわせて『西 高尾山近道』と草戸峠方面の案内が書かれていました。

 この大戸観音堂の傍にある上大戸バス停にケーブルが埋設されていることを示す標石が設置されています。

写真:ケーブル埋設標柱L1-N2-B2

緯度 35.36.48
経度 139.17.18

正面 東-名 / L1 / N2 / B2
背面 昭 13.3
右側面 二〇・・・
左側面  電電公社マーク
天頂部 →(正面方向へ)


 この標石は大地沢青少年センターから草戸峠を越える道すじで多く見かけることになりますが、『東-名』となっているのは、設置時期が電電公社時代のため“東京〜名古屋”間の市外電話用のケーブルとして使われていたからでしょう。

 高尾山へ向かう大山街道支道は、観音堂から西へ向かう道すじを進むこととなります。
 この辺りの道路が広いのは城山湖や本沢ダムの建設と関わりがあるのでしょう。
 境川の小さな橋を渡ると神奈川県相模原市緑区川尻の雨降地区となるのですが、この辺りより本沢ダムまでの道沿いには所々に県企業庁の標柱をみることができます。
 橋のすぐ先には子育て地蔵尊のある分かれ道があります。

写真:子育て地蔵尊前の分かれ道
  (写真では左方向が本沢ダム、右方向が町田市青少年センターを経て草戸峠へ至るルート)

 この分かれ道の近くにある電柱には、電電公社時代に設置された看板が残されています。
写真:埋設ケーブル注意喚起する看板
 地中に電話線が埋設されている旨、注意を促すものですが、連絡先を見ると八王子電報電話局市外線路課とあり、旧・国際通信ケーブルに対するものであったことが窺えます。

 ここにも大正のころに建てられた道標が残っていました。
写真:地蔵尊にある大正時代の道標
 当時の川尻村の各所を示しているなかで、『右 高尾山近道 右ハ山道』の表記もあります。  
 道標が指し示すとおり右のほうの細い道にはいります。
写真:雨降から大地沢までの道
 この辺りでは珍しい茶畑を左手に見つつ進むと、電電公社時代の看板が2本立っていました。
写真:初期の埋設ケーブル注意喚起表示  写真:上から貼り直された注意喚起表示
 先ほどと同じく埋設ケーブルへの注意喚起のためのものですが、珍しい立て札タイプのもので内容も目にしたことがないものでした。1本は文字が掠れてしまったため、先ほどあった注意喚起の表示を貼り直していることから、大分古いものと思われます。


 町田市相原町 大地沢地区(町田市大地沢青少年センター)
 境川支流にあたる沢に架かる橋を渡ると町田市にまた戻り、市立大地沢青少年センターの敷地内となります。
写真:町田市大地沢青少年センター入口
 ここから山間部を越えるまで、上大戸バス停にあったものと同じケーブルが埋設されている位置を示す標柱が設置されています。

写真:ケーブル埋設標柱L2-N7

緯度 35.36.43.28
経度 139.16.46.38

正面 東-名 / L2 / N7
背面 (不明)
右側面  
左側面  電電公社マーク
天頂部 (不明)


 標柱のあった場所から更に先に。
写真:青少年センターの建物へ向かう道  写真:道沿いの斜面
 先ほどの標柱は進行方向の左手の斜面 (左の写真では左側の斜面) にあったので、ケーブルが露出していないかとそちら側を見ながら進むものの、見えるのは苔むした擁壁と木の根ぐらい。
写真:大地沢青少年センター  写真:センター表札
 青少年センターの管理棟周辺は整地が進んでしまい痕跡を探し出すのは難しそうですので、わき目をふらずに歩を進めます。

 境川を渡り青少年センターの敷地が途切れるあたりで、こんなものが。
写真:露出した通信ケーブル  写真:通信ケーブルの案内板
 唯一、露出が確認されている通信ケーブルです。
 一見、木の根のようですがらせん状に切れ目のようなものが見えます。写真には写っていませんが被膜が裂けてなかが見えてしまっている部分もあります。
 この場所から道を挟んで反対側にあるのが、怪しげな緑色の箱。しっかりと施錠されており中は見れませんが、電電公社のマークが蓋にあるところをみると通信ケーブルに関わるものでしょう。
写真:道端にある金属箱 写真:蓋には電電公社マークが見える


 町田大地沢側登山道と草戸峠
 ケーブルが確認できた場所から更に進むと、道が二手に分かれていました。
 そのまま道なり進むと、やがて境川の源流がにたどり着きますが、ここは右折して登山道へと入ります。

写真:草戸峠への分岐点
  (写真では左手前が境川源流、右奥が大地沢青少年センター、左奥へ登るのが草戸峠へのルート)

 この登山道との分岐点に通信ケーブルの存在を示す標柱があります。

写真:曲点を示す標柱

緯度 35.36.44.73
経度 139.16.21.07

正面 東-名 /曲点
背面 昭 13.3
右側面 直下
左側面  電電公社マーク
天頂部


 通信ケーブルは山中に向かうため、ここで曲げられて敷設されたようです。
写真:八王子電報電話局と書かれた棒 写真:棒の周辺
 さらに少し川沿いに歩くと、『八王子電報電話局』と書かれた棒が立っています。恐らくは埋設物注意の看板が付いていたものでしょうが、看板は見当たらなくなっています。

 昔はここに道祖神があり草戸峠への目印となっていたようですが、現在は確認できませんでした。

 ここから、いよいよ草戸峠への登り道となります。
 急な山道には転々とコンクリート製の四角い板みたいなものが見ることができます。これが通信ケーブルの関連構造物らしいのですが。
写真:町田側登山道の途中にあるコンクリート板@
 一つ目を過ぎると埋設標柱があります。

写真:埋設標柱 東-名 L2 N●

緯度 35.36.46.16
経度 139.16.18.96

正面 東-名 / L2 / N●
背面 (不明)
右側面  
左側面  電電公社マーク
天頂部 →(正面方向へ)


 この場所には電電公社の埋設標柱のほかに、旧逓信省時代の埋設標章が設置されています。
写真:旧逓信省のケーブル埋設標章  写真:標柱と標章の位置関係
 埋設標柱をから更に登ったところに2か所目のコンクリート板。
写真:町田側登山道の途中にあるコンクリート板A
 さらに3か所目、4か所目と続きます。
写真:町田側登山道の途中にあるコンクリート板B 写真:町田側登山道の途中にあるコンクリート板C
 そして再びケーブル埋設標柱が立てられています。

写真:埋設標柱 東-名 L2 N4

緯度 35.36.46.90
経度 139.16.15.94

正面 東-名 / L2 / N4
背面 (不明)
右側面  
左側面  電電公社マーク
天頂部 →(正面方向へ)


写真:標柱のある周辺
 埋設標柱を過ぎると、町田側では最後となる5か所目のコンクリート板があります。
写真:町田側登山道の途中にあるコンクリート板D
 このコンクリート板のところをもう少し登ると、権現谷方面からのルートと合流することとなります。
写真:権現谷方面からの合流点  写真:旧道かもしれない空間
 さて、ここから草戸峠を越え梅ノ木平へ下る分岐点まで、通信ケーブルの遺構が一切見当たらなくなってしまいます。
 となると、草戸峠を経由していなかった可能性も考えられます。
 すこしこの辺りを見回してみると、登りきったところを更に直進できそうなところが。しかし、現在は近隣の大学の敷地内となるため、その先は確認できず。素直に左折し草戸峠に向かいます。
写真:草戸峠
 少し勾配の増した道を進むと、草戸峠へ到着します。


 八王子市南浅川町 榎窪地区
 草戸峠からは今、登ってきた大地沢、権現谷方面の他に草戸峠、三沢峠方面と高尾方面へと続いています。
 今回は高尾方面へ下り、途中から梅ノ木平に向かうルートに入ります。

写真:梅ノ木平ルートとの分岐点
  (写真ではオリエンテーリングのチェックポストの左手が梅ノ木平へのルート、右は四辻方面)

 梅ノ木平への道を下り始めると、足元に再び人工物が。振り返ってみてみると土留めのための擁壁でした。
写真:足元にあった長細いコンクリートの構造物  写真:土砂崩れ防止の擁壁
 さらに下ると、町田側にあったコンクリート板を見つけました。しかし、あちらと違うのはその先に石畳のようなものがつけられていること。
写真:八王子側登山道にあるコンクリート板@  写真:コンクリート板の先には石畳のようなものが
 ここにもケーブル埋設標柱がありました。

写真:埋設標柱 東-名 L2 ...

緯度 -
経度 -

正面 東-名 / L2 / (以下不明)
背面 (不明)
右側面  
左側面  電電公社マーク
天頂部 (不明)


 続いて、2か所目めのコンクリート板。
写真:八王子側登山道にあるコンクリート板A
 そして、3か所目のコンクリート板。
写真:八王子側登山道にあるコンクリート板B
 少し進むと枯れ沢のようなところがあり、その部分にも人工物があるのですが、これまでとまた違うものが。
写真:コンクリートと石を並べた人工物(山頂側より)  写真:コンクリートと石をならべた人工物(ふもと側より)
 下ってくると、石を並べたようなものがあり、その先に四角いコンクリートの箱らしきものが埋まっています。そして、枯れ沢を渡り少しだけ石が敷かれているというもの。
 沢に水が流れていた頃に防水対策のために何かしていたのでしょうか?
写真:八王子側登山道にあるコンクリート板C
 4か所目のコンクリート板、八王子側で見られるものはこれが最後です。
 この先、トラロープが張られ立入禁止となっている箇所がありました。
写真:通行不能区間
 2008年の集中豪雨で土砂崩れが発生しため通行不能となり、ここからふもとまでは迂回路が設定され元の道は放棄されています。

 一旦、迂回路でふもとまで下り、旧道を登れるところまで上ることにしました。
 この区間には、どうしても確認すべき国際通信線路最大の遺構があるためです。
写真:山中に佇む建造物
 高さ2m程度のコンクリートでしっかりと作られた屋根にカーブのある建物。
写真:扉の上に掲げられた〒マーク  写真:扉に描かれた電電公社のマーク
 扉の上には〒マークと『L.No.3』のナンバーが書かれたプレート、扉には旧電電公社のマークが描かれていました。
 逓信省から旧電電公社に移管となった旧・国際通信線路で使われていたものにほぼ間違いないと思われます。
 恐らく「ローデングハット」または「ケーブルハット」と呼ばれるものでしょうが、中継器か何かが収められていたのでしょうか?
写真:建物からふもとへ向かう途中にある人工物
 建物のまえからふもとにかけての地面には、やはりコンクリート製の人工物か。表面は石畳に擬装していました。
 しかし、この人工物は道から外れて下っていってしまうため、本来の大山道に戻り三沢峠方面との合流点に向かいます。
写真:大山道に僅かに残る石畳
 大山道のほうにはふもとまでの僅かな区間ですが、本当に石を敷いた石畳がありました。
写真:三沢峠との分岐点
 三沢峠との分岐点。 (写真では手前が梅ノ木平方面、右が三沢峠、左が草戸峠)
 もともと、ここには峯の薬師の分祠がありました。
 現在は地蔵尊が三体祭られており、このうち一体が道標も兼ねています。
写真:道標を兼ねている地蔵尊  写真:地蔵尊の左 大山道の表記
 ここに下ってきた道の方角が大山道であることとその距離が記されています。

 分岐点から梅ノ木平方向へ進むと、榎窪川を渡る橋の手前に最後のケーブル埋設標柱がありました。
 が、引き抜かれて放置されおり、元々どこにあったものかは不明です。

写真:埋設標柱 東-名 L3 / N5 / A1

緯度 -
経度 -

正面 東-名 / L3 / N5 / A1
背面 (不明)
右側面  
左側面  電電公社マーク
天頂部 (不明)


写真:引き抜かれた埋設標柱
 ここまでは『東−名 L2』であったものが『東−名 L3』と変わっています。先ほど『L.No.3』の建物が境だったのでしょうか?
 この先の甲州街道(国道20号線)や梅ノ木平あたりを見てまわりましたが、明確な痕跡はこの標柱が最後でした。
写真:引き抜かれた埋設標柱
 ただ、途中の電柱には電電公社時代に設置された掘削時に注意を促す表示が残されていました。


写真:道沿いにあった各遺構・石碑の所在地

2013.02.10 初示 / 2016.03.10 改訂

[N] 探索編・草戸峠以外
[U] ページ先頭へ [I] 東京都のお話し 目次