相武電鉄上溝浅間森電車庫付属資料館
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神奈川県下に残る通信遺構


 神奈川県内で通信用回線が初めて使用されたのは明治2年(1870年)8月のことで、横浜にあった神奈川裁判所(現在の神奈川県庁に相当)と横浜灯明台局との間700mにブレゲ指字機を用いて官用通信を行いました。
 その後、東京築地にあった東京運上所(現在の東京税関の前身)との電信線が結ばれたのを皮切りに、各地に電話・通信線が張り巡らされ、現在の通信ネットワークを築いてゆくこととなります。

 何事においてもそうであるように、通信も用いる方式や管理する組織がそれぞれの時代によって変遷していきました。
 ここでは様々な時代で設置された通信設備を遺構も含めて紹介します。



 マンホール
【逓信省:座間市緑ヶ丘】
写真:キャンプ座間付近の旧逓信省マンホール
 このマンホールは、キャンプ座間の敷地に挟まれた神奈川県道51号線の歩道上に設置されています。

 キャンプ座間の敷地は、昭和12年(1937年)から終戦まで旧陸軍士官学校があり、士官学校向け通信ケーブル用が敷設された際にこのマンホールも設けられたと思われます。



【逓信省:横浜市中区海岸通】
写真:保土ヶ谷のコンクリート製逓信省マンホール
 大さん橋へ続く交差点の隅にあります。
 付近には旧電電公社時代のものやNTTの角型マンホールが点在しています。



 ケーブル埋設標
【日本電信電話公社:相模原市緑区下九沢】
写真:ケーブル埋設標柱・電電公社曲点

所在地 相模原市緑区下九沢1999

正面 曲線
背面 昭 / 43.4
右側面 1.3M
左側面  電話線
天頂部 →(正面方向へ)

 旧県道であった道路沿いに設置された埋設標で、この付近で電話用ケーブルの方向が転換されていることを示しています。



【日本電信電話公社:川崎市幸区下平間】
写真:ケーブル埋設標柱・電電公社L6CS2

所在地 川崎市幸区下平間63

正面  / L6 / CS2
背面  
右側面 2.00 / M
左側面 昭 / 32.3
天頂部 →(正面方向へ)

 国道409号線・府中街道の川崎市幸消防署平間出張所前にあるものです。
 表記の内容から市外用ケーブルのものと思われます。



【電気通信省:横須賀市追浜町・追浜東町】
写真:ケーブル埋設標柱・電通省L25A1

所在地 横須賀市追浜町3-17

正面  電通省
背面 昭二七.七
右側面 一.〇米
左側面 L25/A1
天頂部 →(正面方向へ)



写真:ケーブル埋設標柱・電通省L25B1

所在地 横須賀市追浜東町3-53

正面  電通省
背面 昭二七.七
右側面 〇.七米
左側面 L25/B1
天頂部 →(正面方向へ)


 電気通信省は昭和24年(1949年)に旧・逓信省より電気通信事業を引き継ぎ設置されましたが、昭和27年(1952年)には、現業部門を日本電信電話公社へ、電波・電気通信監理機能を郵政省へ移管することとなり、僅か3年しか存続しませんでした。
 この標石のある区間は、電電公社に転換される1ヶ月前にケーブルの敷設が行われました。

〔 参考文献 〕
 ・ 日本電信電話公社関東電気通信局 編 (1968) 『関東電信電話百年史 中』

2016.03.31 初示