町田の寺院・小堂
旧野津田村
- 【現地域】
- 野津田町
名称 | 所在地 | 備考 | |
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華巌院 | 野津田町(本村)608 | ||
福王寺 | 野津田町(暖沢)3424 | 野津田薬師堂 |
華巌院
山号 | 幸山 |
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院名 | 華巌院 |
宗派 | 古儀真言宗→高野山真言宗 |
本尊 | 不動明王 |
開山 | 行基 |
本寺 | 摩尼山徳恩寺【横浜市青葉区】 |
旧来は福王寺と呼ばれていましたが、戦火などを受け衰退していきました。
真言宗の僧 興満聖人がこれを嘆き。現在の福王寺(野津田薬師堂)に遷し中興します。
その後、布教の利便を考え、僧の住居のみを明王寺という寺のあった跡に場所に遷し、旧来の寺名を引き継いで「普光山華巌院明王寺」としました。(現在は、幸山華巌院となる。)
このこととから現在でも、華巌院が野津田薬師堂の別当寺を務めています。
福王寺(野津田薬師堂)

創建 | 天平年間 |
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山号 | 普光山 |
寺名 | 福王寺(野津田薬師堂) |
宗派 | 古儀真言宗→高野山真言宗 |
本尊 | 薬師如来 |
開山 | 行基 |
本寺 | 幸山華巌院【野津田】 |
町田市では最古の寺院と云われています。
もともとは、現在地よりもっと北方にありましたが、新田義貞らの兵火により焼失、今の地に遷されました。
その後、僧の住居のみを本村の華巌院に遷し、本尊の薬師如来をそのままに薬師堂として現在に至ります。
薬師堂の眼下にある池は、江戸時代に掘られた溜池で、当時は“福王寺溜井”とも呼ばれました。現在は薬師堂の名をとり“薬師池と呼び、周囲は公園として整備されています。
〔 参考文献 〕
- 町田市史編纂委員会 編 (1976)『町田市史(下)』
- 内務省地理局 編 (1884) 『新編武蔵風土記稿』