相武電鉄上溝浅間森電車庫付属資料館
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農耕車専用信号のある跨線橋 〜 成瀬・小川地区区画整理事業との関係の推察を含めて


地図:跨線橋周辺

 町田市南成瀬と横浜市緑区長津田町にまたがる東急電鉄長津田検車区の町田側に南北に渡る一本の跨線橋があります。
 つくし野地域と南成瀬地域を結ぶこの跨線橋、道幅は狭く一部の車種以外の自動車の通行も規制されており、ほぼ歩行者・自転車専用となっていました。
 しかし、その橋の上には現在は点灯されていないものの、農耕車両専用と表示された信号機が設置されています。

跨線橋の様子
跨線橋の様子や施設はこのようになっています。
地図:跨線橋周辺


  横浜線東光寺踏切

写真:東光寺踏切 写真:踏切名標と小特以外の自動車及び二輪自動車通行禁止標識

 横浜市との市境に近いつくし野1丁目の丘陵部から唯一、北へ抜けることができるのが、この東光寺踏切から今回のテーマとしている東急検車区跨線橋を経る道すじです。

 東光寺踏切は横浜線起点18km940mにある22番目の踏切で、ここより北方が南成瀬8丁目となります。
 踏切手前までは3mほどの幅員をもつ道ですが、小型特殊自動車以外の自動車及び二輪自動車の通行が禁止されているこの踏切の幅員は2.1mしかなく、通行可能な小特車両であっても一台分がギリギリできる道幅しかありません。


  つくし野側進入路

 東光寺踏切を渡ると左への鋭角カーブとなり、跨線橋への勾配につながります。
 ここには1.5車線分の幅員が確保されており、対向車との行き違いができるようになっていました。

写真:つくし野側進入路

 行き違い部分の右側には歩行者用信号でよく見かける押しボタンが設置されています。

写真:農耕車両専用押しボタン

 この先に設置された信号機と連動されているもので恐らく、つくし野側の信号は常時赤が南成瀬側が常時青が点灯し、つくし野側にあるこのボタンを押すことによりつくし野側は青、南成瀬側は赤へと切り替わると思われます。

 そのつくし野側の信号機は勾配をあがったところに設置されています。

写真:つくし野側信号機 写真:信号機に取り付けられた農耕車両専用交通信号機の標識

 信号機には偏光板が取り付けられています。並行して走る横浜線側で鉄道信号と誤認されないためのもののようです。


  跨線橋上

写真:跨線橋上

 橋上の幅員は2m強でしょうか、実際の通行可能帯となる白線間の幅は2mもなさそうです。
 両端の進入路から橋上への道すじもカーブしていますが、こちら鋭角でなく曲線を成しています。

写真:橋上のカーブ 写真:街路灯に取り付けられた町田市のプレート

 設置された街灯には町田市のプレートが付けられており、この道が町田市道であることを示していました。


  南成瀬側進入路

写真:南成瀬側進入路

 南成瀬側の進入路は、つくし野側のそれとは違い退避するスペースは設けられていません。このため、赤信号の場合は接続する道路上で待機することとなります。

写真:南成瀬側信号機 写真:農耕車専用信号と小特以外の自動車通行禁止の標識

 南成瀬側の信号機には偏光板は取り付けられておらず、いたってシンプルなものでした。
 小型特殊車両以外の自動車通行禁止区間はここまでとなります。

写真:南成瀬側進入路入出口付近

 こちらの出入口付近もつくし野側同様、鋭角カーブとなっています。


成瀬・小川地区の土地区画事業より
写真:東急電鉄長津田検車区  この跨線橋は、昭和54年(1979年)の東急電鉄長津田検車区の開設と同じくして供用を開始しているようです。また、信号設備についても同年3月製造とあることから、供用開始と時を同じくして使用が始まったと考えられます。

 町田市内では、昭和38年(1963年)の鶴川地区を手始めに市内西部で土地区画整理事業が実施されました。
 横浜線南側の小川地区を見ていきますと、現在のつくし野1丁目〜4丁目を対象とした小川第一区画整理事業が昭和43年(1968年)に完了したのを皮切りに、現・南つくし野1丁目〜4丁目にて行われた小川第二区画整理事業(昭和46年(1971年)完了)、小川蜂谷戸第一(昭和47年(1972年)完了)及び同地区第二(昭和49年(1974年)完了)と、昭和40年代に区画整理事業が急速に進みました。
 もともと、この辺りは耕地として利用可能な平地が少ない土地柄だったそうですが、東急電鉄が田園都市線の延伸に伴う沿線開発を行った結果、急速に宅地化が進みました。
 一方、横浜線北側の成瀬地区においては、昭和50年(1975年)に北部にあたる現・成瀬台1丁目〜4丁目での成瀬土地区画整理事業が完成し、続いて現・成瀬1丁目〜2丁目で行われていた土地区画整理事業(成瀬中央土地区画整理事業)が昭和54年(1979年)に完工しました。
 跨線橋の北側にあたる南成瀬では土地区画整理事業が成瀬駅の開設も含み実施され、昭和54年(1979年)に事業を完了させています。
写真:畑地と住宅地が混在する南成瀬地域
 土地区画整理事業の後も南成瀬地区では農地として利用される区画は少なからず残っていたようです。
 しかし、宅地化の波におされる形で農業のみでは立ち行かなく農家もあったことは事実です。その対策として農家が所有する土地の一部を出し合い、農協がこの土地を整備し住宅の建設と管理業務を請負い、農家は家賃収入とこれら入居者への農産物販売により生計を維持する農住都市(農住団地)構想による住宅団地の建設も行われました。

 時系列のみで考察すると、旧・小川地区から南成瀬地区の耕地へ移動の利便を図るために、農耕用信号機が設置されましたが、南成瀬地区の宅地化が進んだことにより利用する農耕車両も減少したため信号機の使用が中止され現在に至ると推測できますが、実際の運用とあわせどの位の期間使用されていたのかは分かっていません。


2014.04.13 初示


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