相武電鉄資料館

津久井の寺院・小堂

旧藤野町

【相模川右岸地区】
日連・名倉・牧野
名称 所在地 備考
青蓮寺 緑区日連1634  
鳳勝寺(跡) 緑区日連1702 現在は海老名市勝瀬に移転
正念寺 緑区名倉(葛原)3967  
桂林寺 緑区名倉(葛原)3788  
向瀧寺(跡) 緑区牧野(馬本)7463 通称:観音堂
蓮乗院 緑区牧野(大鐘)7173  
福壽院 緑区牧野(篠原)1752  
来迎院 緑区牧野(奥牧野) 堂塔は存在せず

青蓮寺


山号 金胤山
院号 寿宝院
寺号 青蓮寺
本尊 阿弥陀如来
霊場本尊:聖観世音菩薩
宗派 古義真言宗→高野山真言宗
本山 高野山金剛峯寺【高野町高野山】




 貞応年間、中興開山である宥珍を祖とするとあります。
 寺格は高く、当院の住職は五街道宿駅伝馬場において、無賃で駕籠つぎでの旅行が可能であったといわれています。

 関東法談所三十六院の一つ。

【津久井観音霊場第28番】
御詠歌
しょうれんの ひらくあしたの ひにつれて
 こころのつきは にしへすぎゆく


鳳勝寺(跡)

写真:鳳勝寺跡の碑
山号 春日山
寺号 鳳勝寺
本尊 正観音菩薩
宗派 曹洞宗
開山 寶泉
本山 太井山功雲寺【根小屋】




 昭和18年(1943年)に相模湖造成に伴って、海老名市へ移転しました。



正念寺


山号 篠原山
寺号 正念寺
本尊 阿弥陀如来
宗派 一向宗→浄土真宗本願寺派
本山 龍谷山本願寺【京都市下京区】




 創建の地は不明ですが、宝暦12年(1762年)に当地に再建されました。
 一向宗であったころは、山号を神宮山としていました。



桂林寺


山号 月中山
寺号 桂林寺
本尊 釈迦如来
宗派 曹洞宗
開基 心月
本山 諸嶽山総持寺【横浜市鶴見区】




向瀧寺(跡)(観音堂)


山号 永峯山
寺号 向瀧寺
本尊 十一面観音菩薩
宗派 古義真言宗→高野山真言宗
開山 恵門
本山 牧野山蓮乗院【牧野】




 江戸中期の創建といわれ、廃寺となったのちは観音堂のみが残されていました。
 昭和58年(1983年)、当地に馬本生活改善センターが建設されることとなり、本尊はセンター内に安置されることとなります。
 寺号の由来となる瀧は川上川をはさんで東側の弁天瀧を指し、本堂はセンターの裏手の一段下がったところにあったと云われています。

【津久井観音霊場第27番】
御詠歌
たちむかう たきのながれに つみとがを あらいながして うかぶのちのせ


蓮乗院

写真:蓮乗院鐘楼
創建 弘安年間
山号 牧野山
院号 蓮乗院
寺号 典徳寺
本尊 阿弥陀如来
霊場本尊:如意輪観世音菩薩
宗派 古義真言宗→高野山真言宗
開山 東海忍性律師
本山 高野山金剛峯寺【高野町高野山】




 鎌倉で内乱が起きた際、極楽寺の僧であった東海忍性律師が戦火を逃れるため、阿弥陀如来を背負い甲州へと向かう際に、この地の「堂ヶ尾」の地に至り修禅の地に定めました。
 開山当初、「天徳堂」の名であったが、弟子の円海蓮乗法師のころに堂宇を梨本に移し寺号を牧野山天徳寺と改めます。さらに元徳年間に先師の字を立て、牧野山典得寺蓮乗院としました。
 寛永の初めに火災にあい、奥牧野にあった堂宇は現在の大鐘に再建されたと云われています。

 関東法談所三十六院の一つ。
 

【津久井観音霊場第28番】
御詠歌
くさもきも しげるまきの やまばより はらすにのりの くもぞたなびく


福壽院


山号 月見山
寺号 福壽院
本尊 阿弥陀如来
霊場本尊:聖観世音菩薩
宗派 古義真言宗→高野山真言宗
本山 牧野山蓮乗院【牧野】




 当初は牧馬地区に建立されましたが、元禄年間に現在地に移されました。

【津久井観音霊場第43番】
御詠歌
くもはるる のりのみやまの つきみでら くぜかんのんの ちかいたのもし


来迎院


山号 山王山
寺号 来迎院
本尊 阿弥陀如来
宗派 古義真言宗→高野山真言宗
本山 牧野山蓮乗院【牧野】




 開山等は不明であり、寺塔などの構造物は以前は存在してたようですが、現在は一切ありません。
 寺地であった土地は民有地に、寺有林は共有地となっていますが、高野山真言宗派の寺として、当初は福壽院、のちに蓮乗寺が管理する形で存続している珍しい寺院となります。



〔 参考文献 〕
  • 相武史料刊行会 (1926)『新編 相模風土記:淘綾郡 大住郡 愛甲郡 高座郡 津久井郡』
  • 津久井郡文化財調査研究会 (1989)『津久井郡文化財 -樹木と景勝 編-』
  • 藤野町文化財保護委員会 編 (1974) 『藤野町の神社と寺院』
  • 藤野町文化財保護委員会 編 (1975) 『藤野町の野立石像群・神社と寺院 追録』
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