津久井の神社・小祠
小倉地域
名称 | 所在地 | 備考 | |
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八幡神社 | 緑区小倉356 | ||
諏訪神社 | 緑区小倉(下平)1033-1 | ||
境内社 | 八坂神社 | 緑区小倉(下平)1033-1 | 諏訪社境内社 |
小祠(小倉①) | 緑区小倉1046 | 十兵衛山 | |
熊野社 | 緑区小倉969-1 | ||
小社(小倉①) | 緑区小倉409-1 |
八幡神社
創建 | 元禄2年(1688年) |
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祭神 | 仁徳天皇 |
覆殿 | 切妻造 24.8平方m |
本殿 | 入母屋造 4.1平方m |
神楽殿 | 頼棟造 49.5平方m |
祭礼 | 8月26日 |
合祀 | 稲荷社《境内》 |
別当寺 | 寿性院大蔵寺【太井】 |
筑井城の東塁の守護として創建され、神社の管理は当里長の彦左衛門さんに任されていました。
明治2年(1869年)に大飢饉があった際、境内に植えられていた杉の老木を全て売却して村民を救済したと言われています。
諏訪神社
祭神 | 建御名方命 |
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開祖 | 平井九郎左衛門 |
本殿 | 流造板葺 3.3平方m |
拝殿 | 切妻造 9.9平方m |
覆殿 | 入母屋造 29.7平方m 二棟一宇 |
祭礼 | 8月28日 |
境内社 | 八坂神社 |
別当寺 | 醫王山東光寺【小倉】 |
旧社格 | 村社 |
創建時期は定かではありませんが寛保3年(1743年)には社殿を再建しており、それ以前であると思われ、小倉村の旧家であった平井 九郎左衛門氏が信州の諏訪神社に詣でて勧請し、石1顙(長さ約30cm)を御神霊として奉斎したといわれています。
鰐口には「奉納御宝前諏訪大明神享保元年十一月」とあり、寄進者には小倉村 平井 六左衛門氏ほか4名が刻まれています。また裏面には、横山村大工 加藤五左衛門吉高氏とあります。
この鰐口は再建前の270年前からあり、社宝として保管されています。
八坂神社
覆殿 | 375cm×285cm×421cm |
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祭礼 | 4月15日 以前は7月15日 |
当初は西村にあったが、村に疫病か流行した際に占い師より「天王様(八坂社I)がお山に移りたがっている、人里が汚れているためだ」と告げられたため小倉山に遷しました。(このことから小倉山は天王山とも呼ばれている。)
明治時代に諏訪神社と合祀したが再び疫病が流行ったため、再度、小倉山山頂へと遷座しています。
現在は、諏訪神社境内の現在地に移されています。
祭礼では湯立て神事を行っており、小倉山にあった頃も大釜を担いで神事を行ったといわれています。
小祠(小倉①)
詳細 | 不詳 |
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津久井城址東端にある通称「十兵衛山」の展望台にあります。
熊野社
創建 | 不詳 |
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覆殿 | 253cm×194cm×325cm |
本殿 | 85cm×70cm×160cm |
別当寺 | 小倉山東林寺【葉山島】 ※現在は原家・吉村家が管理 |
天保六年小倉村村明細帳には「御除地 十歩」の記載があります。
小社(小倉①)
詳細 | 不詳 |
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尾崎坂の中ほどにある社です。
〔 参考文献 〕
- 城山町教育委員会 (1996)『城山町小祠報告書』
- 津久井郡広域行政組合 (1987)『津久井郡文化財・神社編』