相武電鉄資料館

愛川の寺院・小堂

半原地域

名称 所在地 備考
清雲寺 半原(塚原)836  
顕妙寺 半原4496  
妙誠寺 半原(馬渡)90  
清瀧寺(跡) 半原(塚原)755付近 廃寺

清雲寺


山号 獨圓山
寺号 清雲寺
宗派 臨済宗
本尊 地蔵菩薩
開山 鐡叟大和尚
開基 内藤三郎兵衛秀行
本寺 雲居寺【相模原市根小屋】




 北条家の家臣であった田代城城主の内藤秀行により開かれたもので、秀行とその妻の位牌が安置されているとのことです。



顕妙寺


創建 明治32年(1899年)
山号 半原山
寺豪 顕妙寺
宗派 日蓮宗
本尊 壱塔両尊
開山 妙智院日函
本山 正中山法華経寺【市川市中山】




妙誠寺

写真:妙誠寺参道
創建 明治初め
山号 大高山
寺豪 妙誠寺
宗派 日蓮宗
本尊 釈迦牟尼仏
開山 妙日仁
本山 身延山久遠寺【身延町身延】



清瀧寺(跡)

写真:清龍寺跡周辺
山号 今大山
院号 不動院
寺名 清瀧寺
宗派 古義真言宗
本尊 不動明王
開山 良辯
本寺 飯盛山清蓮寺【鎌倉市手広】




写真:清龍寺供養塔  天正時代の初めのころ、北条家家臣であった内藤佐馬頭行次が堂を改修し祈祷所としたという云われがあることから、それ以降に祈祷所を改め寺院を開いたと考えられています。
 山岳修験道場としても栄え、一時期は雨降山大山寺(大山不動・伊勢原市大山)とも勢を争うものであったと伝えられてました。

 皇国地誌残稿では「去明治二巳年中住僧円明複飾神職トナル時ニ寺号廃絶ス」とあり、明治2年(1869年)に当時の住職であった円明という人物が神職となったため、廃寺となったとされています。
 一方で、恵浄(俗名 前田蔵人)という僧が明治元年(1988年)に贋紙幣を作成した罪により捕縛、のちに死刑となり清瀧寺は明治5年(1873年)(明治6年とする説もある)に廃寺となったという話しも残っています。

 清瀧寺にあった仏像、位牌などは不動堂ともに清雲寺に移されましたが、一部は他方へ流れてしまったものもあるようです。
 寺跡には歴代住職と無縁仏の供養塔と小さな墓地が残されているだけとなっています。



〔 参考文献 〕
  • 愛甲郡役所 編 (1925) 『愛甲郡勢誌』
  • 愛川町教育委員会 編 (1982)『愛川町郷土誌』
  • 相武史料刊行会 編 (1929) 『新編 相模風土記:淘綾郡 大住郡 愛甲郡 高座郡 津久井郡』
  • 大貫明彦・本沢清之・岩崎保 (1978)『相模野・相模路』
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