愛川の神社・小祠
角田地域
名称 | 所在地 | 備考 | |
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八幡神社 | 角田(宮の上)2371 | ||
地神社 | 角田(箕輪)3037 | ||
八坂神社 | 角田(下之街道)1395 | ||
市杵島神社 | 角田2307 | 詳細は“昔話に在る地を巡る-市杵島神社と弁天渕”にて | |
子の神社 | 角田(峰)1929 | ||
八阪神社 | 角田(原箕輪)33 | ||
稲荷社 | 角田(原箕輪)33 | ||
諏訪神社 | 角田(小沢室久保)934 | ||
飯縄神社 | 角田(小沢)1046 | ||
大六天社 | 角田(小沢)781 |
八幡神社

創建 | 大永7年(1527年) |
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祭神 | 応神天皇 |
祭礼 | 9月8日 |
神主 | 和田但馬 |
旧社格 | 村社 |
旧角田村の鎮守でした。
新編相模国風土記稿では、境内にある棟札には「奉勧請八幡宮一宇。永正十五年七月十五日。法主八菅山□□坊。願主和田但馬□□」とあると記され、建立には八菅山も関わりがあったことが読み取れます。
神主であったという和田但馬は、京都吉田家の配下の神職であったといわれます。
地神社

創建 | 寛延2年(1749年)? |
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祭神 | 填安毘売命 |
開祖 | - |
祭日 | 10月9日 |
合祀社 | 山神社・稲荷社 |
旧持分等 | 村民持 |
社格 | 無格社 |
箕輪地区の鎮守となる当社は、相模国風土記稿によると元々、地神社、山神社、稲荷社のそれぞれが別々の場所にありましたが、明応9年(1500年)に発生した洪水により三社とも流失し、寛延元年(1748年)に藤左衛門という村人が地神社を本社、山神社と稲荷社を末社として、現在の場所に社殿を修築したと云われています。
境内には鐘楼があり、寛政6年(1794年)に鋳鐘が掛けられましたがその後、第二次世界大戦の際の供出により遺失し、平成元年(1989年)に復元されました。
八坂神社

合祀社 | 御嶽社《境内》他、本殿3社 |
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子の神社

詳細 | - |
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八阪神社

本殿 | 神輿 51cm×51cm×65cm |
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社は稲荷のほか、二つありどちらにも古い神輿が収められています。
資料がどちらのものを指しているかは不明です。
稲荷社

本殿 | 木造禿藏造 16cm×16cm×42cm |
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諏訪神社

合祀 | 稲荷社《境内》 |
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持分 | 村民持 |
旧社格 | 無格社 |
小沢地区の鎮守です。
創建は定かではありませんが、位置的に金子掃部助が小沢に築城した館の鬼門よけとなることから、その頃に建立されたと考えられています。
飯縄神社

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大六天社
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〔 参考文献 〕
- 愛川町教育委員会 編 (1982)『愛川町郷土誌』
- 相武史料刊行会 編 (1929) 『新編 相模風土記:淘綾郡 大住郡 愛甲郡 高座郡 津久井郡』