当麻地域の西、田名の境にあたる谷原地区にある数基の古墳の傍に金山神社とい小社があります。
この社は古墳から出土されたあるものを祀るために建てらたのでした。
旗本の大久保家が当麻を知行としていた頃というと、江戸時代後期のことでしょうか。
谷原にある古墳群にある一つの塚が発掘され、古い直刀が一本、地中から見つかります。
この頃、当麻の辺りは大久保家の家臣の関川氏が知行地を差配しており、“お代官”と呼ばれていました。
掘り出された古刀は、このお代官のもとへ持ち込まれます。
ところが、この古刀を預かってから時をおかず、お代官の老いた母親が目を患ってしまい、やがて失明してしまいました。
この刀が災いの原因と考えたお代官は「こんのようなやっかいなものを」と、掘り出した人のところへとつき返してしまいます。
困ったのは掘り出した人、次に当麻山の無量光寺にこの刀を預けることにしました。
すると、今度は当代の住職がお代官の老母と同じように目を患い失明してます。
「これは人間の元に置いておいてはいけないものだろう」と考えた人々は古刀を掘り当てた塚に刀を戻し、小さな祠を建てて祀ることにしました。
この祠が現在の金山神社となります。
今でも時折、刀を埋めたあたりの地面から光が洩れることがあるそうです。