相模原旧市域の簡易水道
相模原旧市域の県営水道の整備は相模原軍都計画の際に開始され、昭和15年(1970年)より相模川伏流水を水源とし相原村、大野村、上溝村、大沢村と津久井郡川尻村を給水地域とした工事が開始され、昭和17年(1942年)8月に相模造兵廠を皮切りに逐次、給水が開始されました。
しかし、軍都計画から外れた地域では水道整備は進まず、昭和50年代以降にようやく通水した地域もありました。
多くは井戸を掘り水を得ていましたが、湧水が得られ易いところでは簡易水道を敷設し供用していたそうです。
当麻地域
組合名 | 当麻水道組合 |
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水源地 | 字 花ヶ谷戸 |
供給地域 昭和46年5月時 |
宿(95戸) 市場(36戸) 谷原(29戸) |
当麻地区の簡易水道は、当麻地域の西側を対象として昭和30年代半ばより整備が始まり、昭和46年(1971年)に水道設備が完成、県営水道が整備されるまで使用されました。
水源となる当麻山無量光寺の北方の谷間にある湧水には、無量光寺開祖の一遍上人にまつわる言い伝えがあり、渇水に悩む庶民のために一遍上人が三日三晩の読経ののちに錫杖で地面を三寸ほどつくと清水がコンコンと湧き出したと云われ、その水量は岩の上に置いた笈が流れていってしまうほどであったので、この辺りを「笈退り」と呼んでいます。
水源地周辺には昭和33年(1958年)竣工と記されたコンクリート製の浄水槽などの取水設備が残されています。
下溝地域
【古山地区】
水源地 | 字 袋澤 |
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供給地域 | 丸(約20戸) |
古山地区の簡易水道は戦後に敷設され、県営水道が通水する昭和40年代まで使用されていたそうです。
水源は、「おみだれみず」と呼ばれる十二天社南側の湧水を電動ポンプでくみ上げ給水していました。
給水地域は十二天社南西の丸地区で、既に自家井戸を電動ポンプでくみ上げていた家もあったことから、地区の全戸が加入していなかったということです。
〔 参考文献 〕
- 相模原市 編 (1973) 『相模原市史 第四巻』
- 相模原市教育委員会 編 (1994) 『古山の組織と運営』(相模原市民俗調査報告
- 相模原市教育委員会 編 (1993) 『古山の集落と土地利用』(相模原市民俗調査報告
- 座間 美都治 (1993) 『相模原の民話伝説』