創建 |
鎌倉時代? |
祭神 |
伊邪那岐命・伊邪那美命 |
開祖 |
- |
祭礼 |
8月24日 ※ 長嶋神社 |
合祀社 |
八坂神社(境内)・白瀧弁財天(境内) ※ 他、寄せ宮と呼ばれる数社の石宮が境内にあり |
旧社格 |
? |
別当寺 |
延命院【原町田/町田】 |
長嶋神社の創建は不明ですが、坂下に鎌倉道が通っており付近の道正山あたりから康歴年間()より板碑が発掘されるなどしたことから、鎌倉時代には既に創立されていたと考えられています。
昭和中期までは中和田地区だけでなく、南は小田急相模原駅付近、北は谷口地区(上鶴間本町付近)までの東林間、翠ヶ丘や座間市にも氏子を擁していたそうです。
境内にある白瀧弁財天は御神体を白蛇とし、近隣の丘陵の森林にあった天満宮に祭られていたものをこの地へ移したそうです。鎌倉道と境川に挟まれた平坦地にあった水田へ流れる清水が付近の山林から湧いていたといわれ、この清水が枯れることのないようにと祀られたのがこの弁財天であったと伝えれています。
同じく境内にある八坂神社は昔、伝染病が流行した際にそれを鎮めるため建立されたと言われ、祭神を須佐能男命としています。
また、新編相模国風土記稿によると稲荷社も境内に合祀されていたようですが、現在は見あたりません。
この長嶋神社の前を通る坂道は“おみやの坂“と呼ばれています。
長嶋神社の寄せ宮
長嶋神社と八坂神社の間には石祠が9社、並んで祀られています。
これは旧来、中和田地区の人々の屋敷に祭られていたものでしたが、明治初期に神奈川県令(県知事)より新規の石仏の建立の禁止と旧来より道端や空き地にある石仏を撤去するように通達がなされ、このことから屋敷内に祀られていた石祠を神社へ寄せる“寄せ宮”“寄せ碑”が行われたと言われています。
境内へ寄せ宮された石祠は八坂神社側より、山神社・秋葉社・石神井社・伊勢山社・神明社・天満宮・神倭伊波禮昆古命祠・大六天社・山王社となります。