相武電鉄資料館

大野南地域の神社・小祠

名称 所在地 備考
長嶋神社 南区上鶴間本町9-17  
鹿嶋神社 南区上鶴間本町3-7  
遷座 元鹿嶋神社 南区上鶴間本町2-11 遷座
金山神社 南区上鶴間本町5-30  
稲荷神社 南区上鶴間本町7-25  
天神稲荷神社 南区上鶴間本町8-2  
小祠(上鶴間本町①) 南区上鶴間本町9-12  
小祠(上鶴間本町②) 南区上鶴間本町2-38  
谷口山野稲荷神社 南区相模大野2-21  
報徳二宮神社 南区相模大野6-11  
小祠(若松①) 南区若松3-47  

長嶋神社

写真:長嶋神社
創建 鎌倉時代?
祭神 伊邪那岐命・伊邪那美命
開祖 -
祭礼 8月24日 ※ 長嶋神社
合祀社 八坂神社(境内)・白瀧弁財天(境内)
※ 他、寄せ宮と呼ばれる数社の石宮が境内にあり
旧社格
別当寺 延命院【原町田/町田】




 長嶋神社の創建は不明ですが、坂下に鎌倉道が通っており付近の道正山あたりから康歴年間()より板碑が発掘されるなどしたことから、鎌倉時代には既に創立されていたと考えられています。
 昭和中期までは中和田地区だけでなく、南は小田急相模原駅付近、北は谷口地区(上鶴間本町付近)までの東林間、翠ヶ丘や座間市にも氏子を擁していたそうです。

 境内にある白瀧弁財天は御神体を白蛇とし、近隣の丘陵の森林にあった天満宮に祭られていたものをこの地へ移したそうです。鎌倉道と境川に挟まれた平坦地にあった水田へ流れる清水が付近の山林から湧いていたといわれ、この清水が枯れることのないようにと祀られたのがこの弁財天であったと伝えれています。

 同じく境内にある八坂神社は昔、伝染病が流行した際にそれを鎮めるため建立されたと言われ、祭神を須佐能男命としています。

 また、新編相模国風土記稿によると稲荷社も境内に合祀されていたようですが、現在は見あたりません。

 この長嶋神社の前を通る坂道は“おみやの坂“と呼ばれています。


写真:寄せ宮された石祠 長嶋神社の寄せ宮

 長嶋神社と八坂神社の間には石祠が9社、並んで祀られています。
 これは旧来、中和田地区の人々の屋敷に祭られていたものでしたが、明治初期に神奈川県令(県知事)より新規の石仏の建立の禁止と旧来より道端や空き地にある石仏を撤去するように通達がなされ、このことから屋敷内に祀られていた石祠を神社へ寄せる“寄せ宮”“寄せ碑”が行われたと言われています。
 境内へ寄せ宮された石祠は八坂神社側より、山神社・秋葉社・石神井社・伊勢山社・神明社・天満宮・神倭伊波禮昆古命祠・大六天社・山王社となります。



鹿嶋神社

写真:鹿嶋神社
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元鹿嶋神社

写真:元鹿嶋神社
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金山神社

写真:金山神社
祭神 金山彦命・金山姫命
祭礼 9月13日(近年は直近の土曜日)
合祀社 八坂社 《境内》
第六天社《境内》
別当寺 方運山青柳寺【上鶴間】




 竹之内地域(現・谷口第一町内会域)の鎮守である金山神社の創建は不明ですが、相模風土記にその名が見られることと弘文4年(1847年)に再興された記録があることから、それ以前より当地にあると考えられます。
 境内社のうち、第六天社は昭和40年ごろに上鶴間1715番地より当地に遷座しました。

※ 旧番地:上鶴間1720番地



稲荷神社

写真:稲荷神社
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小祠(上鶴間本町①)

写真:小祠(上鶴間本町①)
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小祠(上鶴間本町②)

写真:小祠(上鶴間本町②)
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谷口山野稲荷神社

写真:谷口山野稲荷神社
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報徳二宮神社

写真:報徳二宮神社
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小祠(若松①)

写真:小祠(若松①)
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 平成2年(1990年)に再建されています。



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