相武電鉄資料館

淵野辺駅から半原へのバス路線


図:相武電鉄線・淵野辺半原線路線図

1.相武電鉄線を辿るバス路線

 淵野辺駅より相武電鉄の沿線地域であった、相模原市内の上溝や久所、愛川町内の角田、田代へは現在、田名バスターミナルなどで乗り継ぎが必要となりますが、以前は淵野辺駅より一本のバス路線で辿ることができました。

写真:淵野辺駅半原間を全通していた当時の淵59系統

 しかし、この路線も当初から直通運行されていたのではなく、地元の様々な人々の手で徐々に開業させていたものでした。


2.田名村発着のバス路線開業

〔 大正年間当時の淵野辺・久所間バス時刻 〕
久所発 上溝発 淵野辺着 淵野辺発 上溝発 久所着
5:30 5:45 6:00 6:15 6:30 6:45
7:20 7:35 7:50 8:35 8:50 9:00
9:40 10:00 10:15 10:50 11:05 11:20
12:00 12:15 12:30 13:20 13:35 13:50
14:30 14:45 15:00 16:00 16:15 16:30
17:00 17:15 17:30 18:20 18:30 18:50
19:30 19:45 20:00 20:20 20:35 20:50

 淵野辺駅から田名方面を結ぶ路線は、大正14年(1925年)2月に相武電鉄の株主でもあった田名村の大谷仁三郎 氏が淵野辺駅~上溝町~田名村久所781番地(現・相模原市中央区水郷田名)間(8Km)で運行を始めたのが始まりとなります。
 大谷氏は、大正10年(1921年)に橋本駅発着のバス路線を開業しており、淵野辺駅~田名久所間が2つ目の路線となったのです。
 大正14年7月には、田名久所781番地から田名久所河原までの300mを延長しています。
 橋本駅~田名久所間、淵野辺駅~田名久所間で使用された車両はシボレー及びフォードの5人乗りのものでした。
 淵野辺駅~田名久所間は片道30分程かけて運行されており、運賃は、淵野辺・久所間が60銭、上溝・久所と淵野辺・上溝間がそれぞれ35銭でした。


3.愛川でのバス路線の開業と相模川渡河路線

 現在の愛川町内にてバス路線が初めて開業したのは、高峰村の山田忠治 氏により大正13年(1924年)11月に、相模川沿岸の高峰村小沢850番地(現・愛川町角田)から中津村棚澤(現・愛川町棚澤)を経て荻野村下荻野130番地(現・厚木市下荻野)までの10.4Kmでした。
 続いて、大正14年1月に小金井助治 氏が同じく高峰村小沢から愛川村半原4218番地(現・愛川町半原)まで開業させました。
 同じく大正14年12月には、山田氏が三増から中津を経由して愛甲郡の郡都であった厚木町までの路線を開設させます。この路線は昭和6年(1931年)6月に小田急線本厚木駅前まで延伸されています。

 高峰村小沢850番地から田名村781番地までの高田橋を渡るバス路線は、小金井氏が山田氏にバス路線を全て譲渡した昭和8年(1933年)5月以前までには小金井氏の手により開業していたようです。
 おそらくは、2代目の高田橋が開通した昭和4年(1929年)8月以降であったと考えらます。

 なお、このほかに相模自動車株式会社により厚木町(現・厚木市中心部)~半原間と半原~中野町(現・相模原市緑区中野)・橋本駅~八王子市横山町間を昭和6年までに開通させています。


4. 競合と自動車交通事業法施行の中で

 昭和5年頃になると、神奈川県下にも多くのバス会社が設立されるようになります。これに対し乱立したバス会社を統合しようという気運が強まり、昭和6年(1931年)には「自動車交通事業法」が施行されました。
 これらの動きにより、高座郡・愛甲郡近辺では湘南地域から急速に勢力を拡大しつつあった藤沢自動車が高座郡や津久井郡、愛甲郡にあったバス事業者を次々と併合して、多くの路線を持つようになり、八王子駅や橋本駅から愛甲郡、津久井郡に向かう路線や本厚木駅発着の路線などを保有するようになります。
 橋本~茅ヶ崎間に鉄道路線を持っていた相模鉄道は、この藤沢自動車の攻勢に危機感をもち、昭和10年(1935年)12月に大谷氏から淵野辺駅~田名久所間、および橋本駅~田名久所間を譲り受け、昭和11年(1936年)6月には上溝~厚木間の路線を持つ、上溝町の今福亀吉 氏が代表を務めた愛高自動車商会を合併して沿線地域の防衛に努めました。


5. 戦時政策よる再編

写真:淵野辺駅~半原間のほか上溝止まりの存在していた  昭和16年(1939年)、太平洋戦争に突入した日本政府は、あらゆる物の流れを統制しようとしました。これは鉄道や乗合自動車など交通事業でも例外ではなく、昭和13年(1938年)に施行されていた「陸上交通事業調整法」と併せて、昭和17年(1942年)にバス事業の統合に関する鉄道省通牒(通達)が神奈川県内の路線バス事業の再編を促しました。
 高座郡・愛甲郡地区は、東海道乗合自動車が統合主体となり、統合が進められていきます。この際、東海道乗合自動車は社名を「神奈川中央乗合自動車」に改めてました。そう、これが後の神奈川中央交通となってゆくのです。
 淵野辺~久所線を所有していた相模鉄道も、昭和19年(1944年)に全路線を神奈川中央乗合自動車に譲渡しています。


6. そして現在

 戦後、陸上交通事業調整法により関東南部の私鉄路線を一手に所有していた東京急行電鉄の解体される一方、一極集中化していたバス路線についても、主として東急電鉄解体により発足した私鉄会社の関連バス会社や直営のバス部門への、既存路線の分割譲渡や新たな路線開拓が進むこととなります。
〔 昭和26年当時の鶴川・淵野辺~上溝間バス時刻 〕
上溝発 淵野辺着 鶴川着 鶴川発 淵野辺発 上溝着
6:30 7:30 - 7:00 7:20
6:40 7:00 - - 7:10 7:30
6:50 7:10 - - 7:40 8:00
7:20 7:40 - 7:30 8:30
7:50 8:10 - - 7:40 8:10
8:20 9:20 - 8:40 9:10
9:00 9:20 - - 9:20 9:40
9:40 10:40 9:20 10:20
10:20 10:40 - - 10:40 11:00
11:00 12:00 10:40 11:40
11:40 12:00 - - 12:00 12:20
12:30 13:25 12:00 13:00
13:00 13:20 - - 13:20 13:40
14:00 14:55 13:25 14:20
14:30 14:50 - - 14:50 15:10
15:30 16:30 14:55 15:55
15:50 16:10 - - 16:10 16:30
16:20 16:40 - 16:30 17:30
16:30 17:30 - 16:40 17:00
16:50 17:10 - 17:30 18:30
17:20 17:40 - - 17:40 18:00
17:30 18:30 - 18:10 18:30
17:50 18:10 - 18:30 19:00
18:20 18:40 - - 18:40 19:00
18:50 19:10 - - 19:10 19:30
19:40 20:00 - - 20:00 20:20
20:10 20:30 - - 20:30 20:50

 しかし、相模原・愛川付近においては、唯一の私鉄路線である小田急電鉄が神奈川中央交通自体を傘下に取り込んでしまったため、バス路線は戦中からの路線体系を(戦後再開されたものも含めて)引き継ぐ形となり、淵野辺半原線についても神奈川中央交通が運行することとなりました。
 終戦後は鶴川駅から淵野辺駅北口を経て上溝方面を結ぶ直通路線も運行されていましたが、鶴川駅~淵野辺駅間と淵野辺駅~上溝、半原方面とに路線分割がなされ、平成26年(2014年)3月には淵野辺駅南口と半原方面との間も相模原市中央区田名の旧・上田名バス停があったあたりに設置された田名バスターミナルで分割されることとなります。

写真:田01系統・田名バスターミナル~半原線

 現在、淵野辺駅を起点として相模川を越える路線は、淵野辺駅南口~愛川バスセンターの一往復のみとなり、田代や半原へ向かう際は田名バスターミナルにおいて乗り換えが必要となっています。

〔 参考文献 〕
  • 愛甲郡役所 編 (1973) 『愛甲郡制誌』 名著出版
  • 野田 正穂 他編 (1996) 『神奈川の鉄道 1872~1996』 日本経済評論社
  • 運輸省文書 (1951) 『神奈川中央交通株式会社申請による一般乗合旅客自動車運送事業の経営(延長)免許について』
  • 鉄道省 編 (1934) 『全国乗合自動車総覧』 鉄道公論社出版部
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