相武電鉄資料館

目黒延長線

 淵野辺駅から東京府(東京都)中心部への乗り入れ計画を立案した際、終着点を省電目黒駅に定めていました。
 大正15年(1926年)1月には、横浜線淵野辺駅~橘樹郡中原町(現・川崎市中原区)~省電目黒駅間で敷設免許の申請を行っています。
 しかし、昭和2年(1927年)1月に省電渋谷駅へと終点を変更し再出願、その後さらに開業区間を2分割し、第1期開業区間として淵野辺駅~南武鉄道溝口駅(現・南武線武蔵溝の口駅)と変更し免許を受けています。

 当初、計画されていた目黒への延長線は次のようなものでした。

図表:目黒延長線ルート

停車場 起点距離 備考
淵野辺 -  
↓ (途中省略) ↓
金井 15M20C 停留場
中原 16M65C  
下野毛 17M70C 停留場
等々力 18M35C 停留場
○ノ木 文字不鮮明により詳細不明
柿木坂 20M40C  
競馬長前 21M40C 停留場
中目黒 22M30C  
目黒 23M0C  

 橘樹郡宮前村(現在の川崎市宮前区)付近までは後の溝口・渋谷方面とほぼ同じルートですが、ここから東へ中原町を経て多摩川を渡り、等々力、柿木坂、目黒競馬場付近を通り省電目黒駅へ向かいました。
 東京府内はほぼ目黒通りに沿ってルートが設定されたようです。

 免許申請にあたり神奈川県庁が添付した申請内容に関する調査書によると、道路交通を除く交通機関の未発達な沿線地域において、当路線の完成は沿線住民の便は大きく、相模川の砂利を直接東京へ搬出することは極めて有意義であるとしていました。
 一方で、東京横浜電鉄線(目黒~丸子多摩川~神奈川方面)が既に存在しており、小田原急行鉄道が荏原郡碑衾村柿木坂(現・目黒区柿の木坂)~横浜線長津田駅方面で、玉川電気軌道が目黒町中目黒~玉川村瀬田(現・世田谷区瀬田)が敷設免許を提出しているなかがで勝算確実とは言い難いとしてます。
 このほかに相模川から搬出した砂利の荷下ろしの便などもあり、計画の変更を余技なくされたと考えられます。

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