相武電鉄浅上溝間森電車庫付属資料館
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石神平と久所を結ぶ線

第1期線のうち、淵野辺〜田名石神平間のルートは、終戦直後に撮影された航空写真などによりたどることができます。一方、未着工であった田名石神平駅から久所駅の間を明確に示す資料は、現在のところ確認することができません。
ここでは、免許申請書類やさまざな文献、当時の地形図からこの謎な田名石神平駅〜久所間のルートを読み解いてみたいと思います。


1.ヒントは小字

先ほども述べましたように、田名石神平駅から先は着工はしなかったものの、建設のための準備は行われていました。
その様子は相模原市史のなかで次のように記されています。
・・・ようやく大正15年8月にいたって路線の仮測量が始まり、11月になって敷地の立入測量が行われたが、田名の四谷久所の地点で土地所有者に無断で樹木を伐採したので地主が憤慨し、会社に厳談を申し入れたため測量はその解決まで一時中止になるなどということもあった。
・・・田名方面では90余名の地主中なかなか承知しないものもあり、特に滝部落には家作の立退きを余儀なくされるものが10余戸あり、これらの交渉も非常に困難であった。
さて、上記の相模原市史の記述から路線は四谷、滝そして久所という小字名の3地区を通ることが読み取れます。また、城山川尻へ向かう川尻支線は田名村堀内で本線と分岐することから堀内地区も経由することが判ります。

これらのことを地図上に書き込むと、次のようになります。
相武電鉄線が通る予定の四谷、堀之内、滝、久所の各地区は、現在の県道相模原愛川線が通る辺りであることが上記の地図から見て取れます。
では、もう少し具体的な場所を指し示すことは出来るのでしょうか?


2.大正期の土地利用と初期計画線からの考察

当時の田名石神平・久所周辺の様子は、現在とは大きく異なっていました。
次の地図は、大正10年当時の田名地域のものです。

現在と大きく異なるのは、堀之内から久所へ下る県道相模原愛川線(当時は溝愛川線)のルート。現在のルートとなる通称・田名バイパスが開通したのは昭和50年、それまではしろ坂がその役目を担っています。
また、久所の町は旧県道を中心に発展しており、今では多くの家々が立ち並ぶ水郷田名団地のあたりは当時、乾田がが広がっていました。(このあたりは後ほど地図でご紹介します。)

さて、ここで再び相模原市史の記述に戻ります。

先ほども挙げた市史のなかにある用地買収に関する記述の中で、「滝部落には家作の立ち退きを余儀なくされる10余戸あり、・・・」と書かれています。では、当時の町はどのようだったのでしょう。次の地図は前述のものに当時の集落を書き入れたものです。
地図:大正15年の田名地区(集落分布含む)
滝集落は北部が中段との傾斜地になっており、住居は南部の相模川沿いに集中しているものの、東部にもわずかながら人家があることが地図より見てとれます。

ここでもう一つ、参考資料を見てみましょう。
それは、大正15年(1926年)8月に相武電鉄が最初に提出した工事施工許可申請です。
後の昭和2年(1927年)3月に提出された線路工事変更届により、駅数の増加などが行われてはいるものの、基本的なルートに大きな変更は加えられていないようです。
この大正15年提出の工事施工申請のなかで、ひとつ目をひく構造物があります。
淵野辺〜田名(久所)間で唯一の橋として建設される予定だった“久所架道橋”です。名前にあるとおり、久所周辺に建設が予定されていたのでしょう。
昭和2年の線路工事変更届では、久所架道橋の記載は削除されていましたが、開渠という架道橋より規模の小さい橋が2箇所ほど設置されることとなっています。
このことから久所や滝を通る際、線路は最低1箇所以上の道路を乗り越えていこうとしたことが推測できます。


3.久所駅までルートと駅位置の推定

さて、ここで、これまで見てきた久所へ下るための条件を整理してみましょう。
しかし、このルートには一つの大きな問題があります。
それは勾配の問題です。
敷設免許申請書を見ると、最大勾配は1/35、つまり1mを上るのに35mの距離が必要となります。

では、この区間の標高差はどのくらいになるのでしょう。国土地理院発行の地形図に記載されている付近の標高によると

堀内地区(上田名交差点) 96m
堀内・滝地区境界(山王坂上付近) 92m
滝・久所地区境界(しろ坂下付近) 59.7m
久所地区(水郷田名団地) 54m
と、なっています。
堀内・滝地区境界付近と久所地区との高低差は38m、この高さを1/35の勾配で上り下りするために必要な距離は1,330mとなり、実に1.3Kmも必要となります。
これでは久所駅は久所集落から大きく離れてしまい、望地の相模川川べりに設けられてしまうことになります。

では、久所駅はどの辺りに設置されることが想定できるでしょうか?
高田橋との接続を考えるとすると、現在の県道53号線を越えて南進するルートはありえないでしょう。また、高田橋自体が久所集落より高い堤防上にあることから、わざわざ地表まで下りず、築堤などを作ってそこに駅を設置したことが考えられます。
相模川で採取された川砂利の積み込み駅には適していませんが、市史では久所駅の先“相模川河畔”に駅を設ける予定としていたことから、そちらに貨物を集約し久所駅を旅客専用駅としたのかもしれません。

以上のことから、田名石神平〜久所間のルートと各駅の位置は次のように想定できます。

写真:滝坂付近(下り勾配推定始点) 写真:水郷田名団地(久所駅予定地)

2009.05.28 初示/2010.07.25 改訂

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