相武電鉄上溝浅間森電車庫付属資料館
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終章4.高田橋の歴史

相模原市田名と愛川町小沢を結ぶ高田橋は、相模川渡河のため相武電鉄が共用する全国でも珍しい橋となる予定でした。ここで、その高田橋の移り変わりを見ていきたいと思います。

1.高田橋がかかる前
 古くからここだけではなく、相模川のいくつかの場所では渡し舟によって結ばれていました。  とくにこのルートは大山道の一つでもあったたため、多くの人が渡し舟を利用しました。しかし、増水により船を出せないことや船が流されることが度々あったため、周辺住民は橋の建設を望みました。

2.歴代の高田橋

初代高田橋
竣工年:大正13年(1924年)
木造橋
橋長:不明  幅員:不明
 それまで渡し舟によって対岸と往来をしていたこの区間でしたが、高座郡4村(田名村・大沢村・相原村・溝村)と愛甲郡8村(高峰村・中津村・愛川村・依知村・下川入村・棚沢村・三田村・荻野村)が建設費用5,000円余りを寄付することにより架橋されました。もともとこの橋を通る道路は県道・溝愛川線に指定されていて、竣工後は神奈川県に管理を移すこととなっていました。
 しかし、県に移管されたと同じ大正14年8月、豪雨が襲い橋は流失してしまいます。


仮設 高田橋
竣工年:大正14年(1925年)
土橋
橋長:49間  幅員:9尺
 洪水により流出した初代の橋に代わり、渡し舟が再び運行されていましたが、日本陸軍による大規模演習が付近で実施されることが決まり、神奈川県が3,000円余りを支出し仮の橋を渡すこととなります。


2代目高田橋〜計画時
計画年:大正15年(1925年)
鋼鈑桁橋
橋長:318.2m  幅員:4.6m  設計荷重:8t(第2種)
 周辺住民の強い希望により再度架橋されることとなった高田橋ですが、関東大震災により多くの木造構造物か崩壊してしまったことを経験として、鉄骨とコンクリートを用いた強固な橋梁を架橋することとなりました。
 ちょうど橋脚が完成したころに相武電気鉄道がこの付近で相模川を渡る計画が持ち上がり、高田橋の共用化が相武電鉄より橋を管理する神奈川県へ打診されました。幾度かの協議の結果、橋の建設費用92万円のうち10万円を相武電鉄が負担することにより橋の共用化が決定しました。


2代目高田橋〜竣工時
イラスト:2代目高田橋 写真:相模川河畔に残る2代目の橋脚跡
竣工年:昭和4年(1929年)
鋼鈑桁・軽量コンクリート床板橋
橋長:319.2m  幅員:4.6m  設計荷重:6t(第3種)
 相武電鉄より架橋負担分10万円の入金が無いため建設が遅れていた高田橋ですが、周辺の村落よりの強い要望により相武電鉄線を外し道路専用橋として架橋されることとなりました。


3代目高田橋(現在)
写真:現在の高田橋
竣工年:昭和50年(1975年)
三径間連続鋼鈑桁橋(2連橋)
橋長:342.4m  幅員:7.5m(うち、両側歩道各2.0m)
 老朽化と自動車の通行量増加による交通環境の改善のため、現在の橋に架け替えが行われました。その後、外観などの部分的な改修が行われ現在の姿に至っています。



----.--.-- 初示/2011.10.01 改訂


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